雪の日舎
行ったり来たり婚

命のはじまりとおわり、そしてつながり 妊婦編#7

2020.01.20

豪雪地・津南と豪雪地・妙高
どちらかを選ばなきゃいけないなんて、つまらない。
どちらも選びたいから、行ったり来たりする。
「二拠点居住」というライフスタイルへの憧れでもなく

ただただ、自分たちのしたい生き方を選びとってきた結果。
それが私たちの行ったり来たり婚です。

 

 

突然の訃報……

戌の日のお祝いをした8月末、夫のおばあちゃんが亡くなりました。

おばあちゃんとは、今年のはじめに大阪に帰った際に一度お会いしていたっきり。

いま思えば、あのときに結婚の報告ができてよかったなと思います。

残念ながら、ひ孫の顔を見せることは叶いませんでした。

 

急な知らせではあったものの、私自身体調も良く安定期にも入っていたので、夫と一緒に大阪での葬儀に出席。

 

このころは、胎動も感じるようになり、お腹の中に命があるということを実感し始めている頃でもありました。

お坊さんがお経を読む中、お腹の中でポコッポコッと反応する度に、

「あなたのひいおばあちゃんだよ」

と心の中でつぶやいていました。

 

 

実は今年の2月には、私のおばあちゃんもこの世を去りました。

その頃はまだお腹には赤ちゃんはいなかったのですが、骨だけになったおばあちゃんを見て、

「この身体から、お父さんが生まれて、そして私へと命がつながってきたんだな」

ということを改めて考えると、不思議であり、とても奇跡的なことなんだなという思いを抱いたことを思い出しました。

夫のおばあちゃんのおなかから、お義母さんが生まれて、そして夫が生まれてきたんだな。

そして、いまお腹の中のこの子に、命がつながっているんだな。

そう思うと、お腹の中の子がさらに尊く、愛おしく感じるようになりました。

 

 

命の怖さ、そして喜び

命にはじまりがあれば、いつかおわりもくる。

そう思うと、命を授かってうれしい反面、この小さな命をちゃんと守っていけるか、いつかおわりもくるだろうことを想像すると、一つの命を身体の中に宿すということ自体がとても怖くも感じました。

そして自分たちの命も、必ずおわりがくる。

 

これだけの悲しみと、同じくらいの喜びのどちらもを持っている命というものを、一体どう捉えたらいいのだろう?

考えはじめると、答えはありません。

でも、確実にここに芽生えた命があるという実感だけは確かでした。

 

一つの命が終わるとき、私たちは大きな悲しみに覆われてしまうけれど、そんななかでも、小さな子どもたちが走り回っている姿、これから生まれてくる命がそこにあることは、唯一の希望なんだなと参列している親族の方たちと過ごしていて感じました。

おばあちゃんたちから受け取ったこの大切な命を、しっかり受け止めていこう。

次はこの子を抱いて、天国のおばあちゃんたちに報告しに来よう。

そう強く思い、大阪を後にしました。

 

つながってきた命を想う

そして、自分たちだけではなく、そうやってずっとずっとつながってきた命が、いま存在しているたくさんの命だということ。

どの人も、誰かにとって大切な誰かであるということ。

 

そう思うと今日は、昨日より優しい気持ちで人と接せられるような気がしてきます。

 

 

 

 

 

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家主が出産・育児のため、2019年12月〜休業中。Classic Labのブログは随時更新しています。

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諸岡 江美子

諸岡 江美子

スノーデイズファーム(株)webディレクター/保育アドバイザー。1987年、千葉県船橋市生まれ。東京都内の認可保育園にて5年間勤務、その後新潟県妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校、自然保育専攻に社会人入学。津南町地域おこし協力隊を経て、現在はClassic Labとして独立。雪国の「あるもの、生かす」という生き方を研究している。編集者、エッセイスト。