雪の日舎
新米がやってくる!今こそ知りたい、お米とくらし

第3話 米作りがはぐくんできた地域らしさとは?

2017.11.10

穂が垂れる田んぼ

眩しい夏と違い、ミルクを流し込んだような水色の空に、星屑をばらまいたようにきらめくものがいる。
トンボでした。
トンボの羽に光が当たり、ダイヤモンドダストのように空に舞う。その姿は、夏の夜に見た蛍を思わせました。

 

佐藤可奈子です。

9月下旬、稲刈りが始まりました。
米作りも7年目、娘は2歳になり、つまり娘の成長とともに歩む米作りも2年目となりました。

農作業休憩中の夫婦

 

本の通りにやるよりも、ただ目の前のものを観察して、変化に応じてこちらも反応してゆく点で、
子育てと農業もとっても似ています。

ふたつとも、答えはない。「こうすべきだ」「こうしなければならない」が通用しないときがある。
だから答えのある教科書通りにしようとすれば、思い通りにいかないときや壁にぶつかったときに、答えが見つからず苦しくなるのだと気付きました。

 

畑を手伝う子ども

 

そもそも、天候や環境、生き物を含めた複雑な生態系含め、思い通りにいかないことのほうが多いから、「とにかくよく観察して、ゆったりしなやかに構えるんだ」「毎年違って、毎日変化してゆくからこそ、いろんなチャレンジをするんだ」と教えてくれたのも、農業の師匠たちでした。
農業はいつも、そうやって生き方や子どもとの向き合い方を教えてくれました。

 

 

地域をつくるものはなんだろう?

限界集落での農作業ボランティア

 

いま、ちいさな集落で農業をするなかで、人口減少や過疎化など長く悲観的な情報が舞い込んできています。
しかし、現場にいながら思うのは、今後「集落」「地域」というものは、県境や地域の境で区別されるものではなく、人の集まりが集落となってゆく、というそもそも当たり前の事実に収斂されていくのだろう、ということです。

人の心の帰る場所が集落になる。

だから、そこに住むだけでなく、住んでいなくても、通っていても、その人は村人。人の移動や出逢い、動きが集落の生きるエッセンスを運んだり、残したりもするでしょう。
価値観やくらし方も都市化する一方、地方だけでなく、社会自体の絶対数が減っているなかで、大切なのは数よりもあり方。都市と農村の対比ではなく、「らしさ」がそこにあることが、多様な人の居場所となり、そこに農村が生き続ける意味があるのではないでしょうか。

 

限界集落での農作業ボランティア

 

「世界はもう国境で囲まれた国ではなく、国境を越えて『イシュー』単位で繋がろうとしている」と教えてくれたのは2004年の中越地震以来、池谷集落を支援してくださった国際NGO JENの濱坂さんでした。だからこそ、この地域を地域たらしめている大切なものを、当たり前に時間をかけてはぐくみ、守ってくことが大事になります。

 

では、この地域を地域たらしめている大切なものとはなんでしょうか。3つ挙げてみました。

「みんなでやる」米作りのあり方が、地域をつくる。

集落の共同作業

 

米をはぐくんできたこの地域には、労働力を交換しあって、作業をお互い手伝いあう共同作業「結」があります。

いまでこそ、米作りは機械化が進み、ひとりでできるようになりましたが、かつては田おこしから田植え、草取りなど日々の管理から稲刈りまで、集落のなかで助け合いながら、行われていました。むしろ、米作りはひとりでできないことのほうが多かったのです。

それだけでなく、米づくりは、田んぼの中だけではなく、水路や農道などの管理があってはじめてできます。
雪解け後の春の水路は落ち葉や土などでところどころ詰まっています。毎年、山からの湧き水を田んぼを引くために、山の血管を通すように、丁寧に水路掃除をします。そしてそれは田んぼを経て、川へ繋がってゆきます。集落のなかで水路掃除や農道の草刈りなど、「道普請(みちぶしん)」という名でいまも農業者や住民の共同作業が年に何回か行われています。

だからこそ、米作りや農業をつなぐことは、農村をつなぐことと一致します。米をつくりながら、フィールドとしての農村もつくっている。

そもそも「米作り」はみんなで行うものでした。
そのあり方が、米作りだけでなく日々の助け合いのベースをつくっており、移住者に「地域の人はあったかい」「隣近所のひとがどこの誰だか分かり、助け合いながら暮らしているのが、安心」と言われるもとなのではと思います。

 

共同作業の休憩中

せぎ普請

 

 

豊作の祈りが行事をつくり、生まれた恵みが行事に使われる

池谷集落の盆踊り

 

移住し農業を始めて気付いたこと、それは祈る機会が増えたということです。

年明け小正月に「道楽神」またの名を「どんど焼き」「さいの神」とも言う行事があります。
神社下の雪原をかんじきで踏み固め、わらや竹で組んだ巨大なやぐらに、年男、年女が火をつけ、無病息災・五穀豊穣を願う行事です。
真っ白な雪原で、天から引っ張られるように燃え上がる火柱は本当に幻想的。農あるくらしと「祈り」が密接で、家族が無事に食べれて生き延びることが最重要課題だった時代の祈りが、行事という形で残り、私自身も娘ができてからなお手を合わす力が強くなりました。

 

池谷集落のどんど焼き

 

「雪解けの山に、あの白い花がたくさん咲く年は豊作だ」といった作柄を占う言い伝えや、
田植え終わりの田休み「まんがらい(馬鍬洗い)」で食べる赤飯、
「鳥追い」というカラスなどの害鳥が田畑を荒らすのを防ぐために子どもたちが「鳥追いの唄」を歌う行事、
お酒の席で必ず歌われる豊穣の祝い唄「天神囃子」、夏のおおまつりに秋の収穫祭・農神祭など。

一年と言わず人生そのものが五穀豊穣を祈り願い、喜び感謝する連続です。土に近いくらしが祈りを生み、しめ縄やいろんな飾り物には、田んぼ仕事が生むワラが使われ、農業をまんなかにした文化が作られてきました。

祈りは地域をつくっている。
そして祈りは過去と自分を繋げ、今ここにいるルーツのようなものを感じさせてくれる。祈りを大切にする、ということは、自分が今ここにいる意味を大切にすることと同じであり、それはこの地域に生きる誇りのようでもありました。

 

米の味が食文化をつくる

おにぎり

 

これはかなり私見が入っているかもしれませんが、お米の味が食文化をつくっています。

私の住む魚沼産コシヒカリの産地である十日町の米は、とても甘いのです。
かむほどに甘みが滲み出て、弾力もあり、冷めても美味しい。「米をおかずに、米を食える」という地元の方がいるくらいです。

だからでしょうか、そんな味の濃いお米だからこそ、地元で作られているごはんのお供や、郷土料理などは、どれもしょっぱめ。昔からある味噌屋さんのお味噌やお醤油もかなり味が濃いのですが、これがこの地域の「甘すぎる」お米と合わさるとちょうどよいのです。

また驚くのが、どこのうちへ行っても、おにぎりとして持たされるものは、こぶしサイズの大きなおにぎり。中には大根の味噌漬けや、おかず味噌、梅干し、シャケなどが入り、海苔で巻かれた爆弾おにぎりです。

大きなおにぎりに、たくさんのおかずが具材として入っているので、見た目以上にかなり満足感もあります。
さすが、米どころ。各地の郷土料理も、米とともに食すると、かなりの説得力を持って地域らしさを感じることができるのではないでしょうか。

 

米を通して見える地域と、未来に向けての棚卸し

冒頭で、「今後『集落』『地域』というものは、県境や地域の境で区別されるものではなく、人の集まりが集落となる」と書きましたが、それぞれの地域で異なる気候や、それにともなう農業を含めた地域ごとの「とりくみごと」のあり方が、その地域らしい生き方をつくり、思考をつくっています。だからこそ、都市と農村どちらがよいという判断軸ではなく、それぞれの環境にフィットする人もさまざまだということ。そして、そこに集まった人で生まれる新しきものもさまざまなのです。

 

いまは、地域創生もあいまって、多くの地域が差別化をし若者の取り合いをする一方、待ったなしで縮小してゆく社会のなかで、上記で挙げた共同作業や行事の維持も難しくなってきました。人口増加時代にできた会や行事、運動、キャンペーン、とりくみごとが、人口減少した今も残っていることが多いです。いまこそ、取捨選択と、前向きな棚卸しが必要です。そんななかで判断材料になるのは、本当に残すべき地域のアイデンティティを作っているものは何か、丁寧に土に近いところから紐解いてゆくことかもしれません。

 

 

 

佐藤 可奈子

佐藤 可奈子

株式会社雪の日舎 代表。1987年、香川県高松市生まれ。立教大学法学部政治学科卒。大学卒業後、新潟県十日町市に移住、就農。「里山農業からこころ動く世界を」がテーマ。著書「きぼうしゅうらく〜 移住女子と里山ぐらし」