雪の日舎
どうつくる?しあわせなはぐくみ

第1話 保育士たちはなぜ里山へ向かうのか〜移住した保育士たちの座談会

2018.02.12

雪の日舎がつくりたいのは「こどもがまんなかの、しあわせなはぐくみのフィールド」

それって、具体的にどんなところ?

どんな条件があれば、こどもも大人もしあわせな子育てができるのだろう。

この雪深い里山だからこそ、できることって?

そう私たちが考えていくなかで、ふと気づいたことがあります。

それは、この雪深い里山に暮らしを移してくる人たちのなかに、元保育士や幼稚園教諭が多いこと。

なぜなのだろう。

子どもたちの一番近くで寄り添って来た彼らが、この里山に来た理由を紐解けば、もしかしたら私たちの実現したい「こどもがまんなかの、しあわせなはぐくみのフィールド」のヒントが見つかるかもしれない。

そう思い、彼らに話を聞いてみました。

今回集まってもらったのは、信越地域に移住してきた年齢も保育歴も移住歴も様々な男女5名。

 

 

「保育士」「幼稚園教諭」と言う、子どものそばで過ごしてきた5名が、里山のどんなところに惹かれたのか、なんのために里山で暮らすのか、ざっくばらんにお話していただきました。

 

座談会メンバー

(写真左から)

諸岡龍也

大阪府出身。京都府の公立保育園で13年間勤務。デンマークの森のようちえん見学を経て、新潟県妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校野外教育学科に社会人入学。卒業後妙高市に残り、現在は地域のこし協力隊として活動中。

 

吉田咲

静岡県裾野市出身。地元の公立幼稚園で3年間勤務。その後結婚を機に長野県栄村に移住。栄村では、学童保育の指導員や、イベントのサポートなどを行う。現在はもうすぐ1歳になる愛息子の子育て真っ最中。

 

高橋真梨子

埼玉県日高市出身。大地の芸術祭に関わったことがきっかけで新潟県十日町市に移住。十日町市内の保育所に1年半勤務後、現在は夫と農業「あらたまや」を営みながら、市内のお母さんたちと「森のようちえんノラソラ」を年4回実施している。

 

川延誉

東京都世田谷区出身。東京で11年間幼稚園教諭として働く。「絵本と木の実の美術館」の大ファンで通っていたことをきっかけに新潟県十日町市へ。現在はにいがたイナカレッジのインターン制度を活用し雪の日舎で活動中。

 

諸岡江美子

千葉県船橋市出身。東京都内の認可保育園で5年勤務。その後妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校研究科自然保育専攻に社会人入学。卒業後は津南町地域おこし協力隊として活動。現在は雪の日舎でwebの編集、執筆などを行う。

 

 

「先生」である前に、人として豊かであるか?

 

江美子 みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございます。まずはみなさんがなぜこの地域にやってきたのかをお聞きしたいと思います。

私は、自然の知識やリスク管理の勉強をしたいと思い、妙高の専門学校に入学したのが1番はじめのきっかけです。そのときは、1年経ったら千葉に帰るつもりでした。でも1年間住んでいたら、新潟が面白くなってしまって。地域のおじいちゃんおばあちゃんがとにかくカッコよかったんですね。アウトドアの専門学校だったのでみんな体力には自信があるんですけど、山菜採りとか行っても80歳過ぎのおばあちゃんに着いていけないんですよ。

必要なものは自分たちで採ってきたり、作ったり、直したりする。

そういう暮らしって、人が成長していく上で根本的に大事なところだなと思ったんです。

それで、もっとそういう暮らしを知りたいと思い、新潟に残る方法を探して地域おこし協力隊になりました。

 

 

龍也 俺は保育の仕事は今でもめっちゃ好きやし、天職だなと思っていました。

ただ、10年くらい働いたとき、

「俺は子どもと遊ぶのは上手いかもしれないけれど、人間として豊かじゃないな」

「そういう人が保育園の先生をやっているというのは説得力がないんじゃないかな」

と思い始めたんです。

元々山登りとか外で遊ぶことが好きやったから、人と自然が密接にあるところを知ればもっと自分が豊かになるんじゃないかと思いました。

それで、森のようちえん(*1)の本場デンマークにも行くことにしました。

実際に行ってみると、やっぱりこういう保育っていいなとは思ったんです。

ただ、それはデンマークの制度だからできること。日本でそのまま同じことはできないなと思いました。

じゃあ日本でやるならどういう形だろうと考えて、「子どもも大人も自然に関われる場所で生活に近いところ」を探したら、村だったんですね。

それで妙高に残りたいと思うようになりました。

 

 

吉田 私の移住の直接のきっかけは結婚でしたが、元々森のようちえんや自然保育には興味がありました。ただ、まずは日本のスタンダードな保育をやってみようと3年間公立園で働きました。その3年間のなかで、1年間のスケジュールに子どもも私も合わせて生活をする、やっぱりそれってどうなのかなという疑問は持っていたんです。

移住してからは、一度保育からは離れようと思っていたのですが、縁あって自然保育や森のようちえんを担っていく人材をサポートするお仕事をさせてもらうことになり、図らずも改めて保育について勉強したり考えたりする日々を過ごしました。今はそれらで培ってきた経験を、自分の子育てに向けようと思っています。

 

 

高橋 私自身は元々保育士だったわけではなく、そもそも美術の道を歩んでいました。十日町に移住して暮らすことを考えたときに、仕事として保育士資格を持っていたら働けるのではないかという、割と楽観的な理由で資格を取ろうと思いました。

ただ昔から子どもと過ごすことは好きでしたし、美術をやっていても子どもと一緒に何かを作ったりという活動は好きでした。なので漠然とですが、子どもとともにできる仕事をしたいなという思いは持ってたんです。

実際に公立保育園で働いてみると、1日の流れの中に子どもを乗せていくような保育のあり方に違和感を感じました。ただ、それも今の保育システムの中では、そういった画一的な一斉保育にならざるを得ないという、現場のリアルな状況も肌で感じました。そんななかで、現状ある保育システムに頼るだけではなく、自分でもちょっと違う保育のあり方を模索したいと思うようになりました。

それが今、森のようちえんノラソラの活動につながっています。

 

 

 

川延 私は11年間幼稚園教諭をしていて、それも楽しくて好きなことだったけれど、私がいて子どもがいて、「先生」と「子ども」という関係性だったんですよね。そうじゃない関係になってもいいかなと思うようになったんです。

森のようちえんも興味はあるけれど、今は保育を離れていろいろ見てみようと思っています。

だから「移住してきました」とか「保育辞めたい」とか、そういうわけでもなく、「その日暮らし」という感じなんです。

でも十日町に来て、「その日暮らし」ができているんですよね。こっちに来て思うんですけど、東京って人工的なものが多くて、五感を使ったり実体験できる場が少ないんですよね。子どもたちにとってもそうだし、私がそうだったんですよ。私本当に生活レベルが低くて。「どうやって生きてるんだよ」ってこっちに来てからいろんな人に言われました(笑)何も知らないし、何もできなくて。

東京では「先生」って呼ばれていたけれど、本当のポンコツが丸出しになっちゃってます。でも、「ああ、そんなもんだな、私」って思うんです。

東京にいたときは、いいものを買って満足して、お金を使って暮らしていたけれど、今はインターン生なのでそんなこともできないし、私にとってすごく必要な経験だなって思います。

 

江美子 わかります。ポンコツ感(笑)

 

高橋 わかりますよね〜。紐の結び方一つにしても、「そんなことも知らないのか」って言われます。紐さえ結べない、束ねられない、本当に何もできないんだよなぁって思います。

 

江美子 「保育士だったんです」って言うと、あれもできてこれもできて……って期待されるんですけど……

 

一同 うんうん。

 

江美子 いや、皆さんの方がレベルが高いんです。

保育士が普段やっていることとか、さらにはできないことも、地域の皆さんは自然にやっているんですよ。そういう中で子どもが育っている、地域の人たちが子どもを育てているというのがいいなぁって思います。

 

(*1)森のようちえん 北欧で始まった野外保育。国や運営者によって様々なスタイルがある。日本では「特定非営利活動法人 森のようちえん全国ネットワーク連盟」が、「自然体験活動を基軸にした子育て・保育、乳児・幼少期教育の総称」と定義している。

 

 

本当は大人が求めている

 

 

川延 私が働いていた幼稚園は保育観も共感できていたし、とても楽しかったんです。でも自然は少なかったんですよね。

十日町に来てからはスーパーに行くにも、見える景色が山だったりして、そういう些細なことなんですけど、五感から得るものが圧倒的に違うんですよね。

 

高橋 五感から得る情報は圧倒的に多いですよね。教えられるのではない情報があるっていうのが違うと思います。でもそれをここにいる地域の人たちが意識しているかと言われたら、していないですよね。

 

龍也 地域の人からしたら日常ですからね。

 

川延 私、旧暦の七十二候(*1)の本を、幼稚園教諭時代に子どもたちと過ごす毎日の資料として持っていたんです。それをこっちに来てもう一度読み直したら、すっごく楽しくて!「わ〜!ほんとだ〜!」って思ったんです。この本を読んでこんなに楽しいと思えたのは、こっちの自然の豊かさがあったからで、同じ本を読んでいても東京では「へぇ、世の中にはそんなことがあるんだな」程度にしか思っていなかったのが、「ほんとだ!」って実感できるようになったんです。それがこっちに来てすごく楽しいです。

 

 

高橋 知識と経験というのは全然違いますよね。

 

江美子 そういう部分でいうと、こっちに来てから自分がすごく開かれているなと思います。何よりも、自分が心地いいというのがあるから、いろんなものが見えるようになるんだろうなと思っています。

 

川延 そう、いろんなものが見えるようになりますよね。私本当にポンコツで(笑)幼稚園という狭い空間にいたから、これでもゆるゆるとやってこれたけれど、こっちに来たら知らなかったことがたくさんありました。今までは子どもに言っていたり、願っていたことを、今は私がこの地域の人たちにしてもらっているんです。

私が子どもたちに「いいんだよ、いいんだよ、そういうこともあるんだよ」って言っていたことを、いま私がしてもらっているんです。だから子どもにもやっぱりそうしてあげるべきなんだなって実感しました。

 

高橋 大人がそういうふうにしてもらうことって、なかなかないですよね。実は大人が求めているのかもしれないですね。

自分がいろんなことをできないのもわかっているんだけど、こっちではそれを咎められることもないし、根気よく教えてくれますし。自分がそうされていないと、人には同じようにできないですもんね。

 

 

 

(*1)七十二候 二十四節気(にじゅうしせっき)は半月毎の季節の変化を示していますが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候(しちじゅうにこう)です。二十四節気と同じく古代中国で作られました。

 

 

カテゴライズされた「保育園」の中で感じる違和感

 

高橋 「先生と子ども」という関係性って話がありましたけど、私保育所に勤めていたときに「先生」って呼ばれることに抵抗があったんです。皆さんはどうでしたか。

 

龍也 俺は「先生」って呼ばれていなかったかな。

 

高橋 でも「先生」って呼ばれないことを他の職員に何か言われたりとかはしなかったんですか。

 

龍也 あ、それは子どもも4、5歳になれば話がわかるから「みんなの前では先生って呼んでや」とか言ってうまくやってました(笑)

 

江美子 私も違和感はありましたね。だから自分のこと話すときは「先生は〜」とは言わず「私は〜」って言うようにしていました。でも園ではみんな「先生」って呼んでいたから、そう呼ばれていましたね。園によっては「〇〇ちゃん」とか先生と呼ばないところもありますよね。

 

龍也 「先生」って呼ばれたら、違和感あるよな〜。

 

高橋 呼び方一つなんですけどね。

 

龍也 「先生」って上に立つみたいなイメージがある。だから、「先生って先に生まれただけなんだよ。漢字だってそうやって書くんやで」って子どもたちには話していました。

 

 

高橋 幼稚園はどうでしたか。

 

川延 うちの園は子どもとの距離を作らないと言うのがモチベーションとしてあって。全体が「学園」だったので「先生」とは呼ばれていましたが、自分で言うときは「私は〜」と言っていたし、職員同士も「先生」って呼ぶのは辞めましょうと言って名前で呼び合っていました。あんまり幼稚園らしい幼稚園ではなかったんだと思います。

 

高橋 私自身、先生って呼ばれたり、呼ばせたりしているうちに、そう言う構図になってしまったんですよね。自分が教える立場になりたくないと思っていたのに、そうなってしまっていて、カテゴリの力って強いなと思いました。

親御さんからしたら、私なんて年下だし、子育て経験もないし、先生なんて呼ぶのも抵抗あっただろうなと思うんですけど、そうするしかない。だから「先生の言うこと聞かないとダメでしょ」と言われる、その一線というか壁は感じていましたね。

保育園て学校じゃないと思っていたのに、学校みたいでした。評価しなくていいところだと思っていたのに、些細なことで評価しなくてはいけなくなっていたんです。お片づけができる、できないとか、友達とこういうやりとりができる、できないとか。

 

江美子 この辺りだと、地域の中に保育園の先生もいて通っている子どももいて親もいる。でも普段も「先生」って呼び合っているから、ご近所さんなのに不思議な感覚だなぁと思います。まぁでもそうなるよなぁとも思いますし。でもなんだかすごく変な感覚だな、先生って、と思います。

 

高橋 不思議な場所ですよね、保育園って。独特だと思います。

 

龍也 保育園って変なところですよ。俺は13年間やっていて、ずっと男一人だったんです。思うんだけど、保育園って女の人しかいないってすごい不思議なんですよね。

 

高橋 ほんと不自然、そうですよね。

 

龍也 家庭にも地域にも、女の人も男の人もいるのに、なんで保育園だけ女の人になるんだって、すごく不自然です。

 

江美子 入っていると普通だけど、一回出るとすごい特殊な場所だなって思いますよね。

 

川延 一度離れちゃうと、もう一回戻る勇気がいりますよね。

 

一同 うんうん。

 

 

今まで「保育園」「幼稚園」というある意味不思議な狭い世界にいた私たち。一歩外の世界に出てみたら、知らないことや気になることがたくさんあったのです。

そしていま、「子どものように」自分自身をはぐくんでいるのかもしれません。

 

子どもの一番近くにいたからこそ、どうしたら子どもが子どもでいられるのか、それは頭で考えているだけでは本当の意味では分からず、大人になってしまった自分たちも身を以て感じなければ分からないのだと思います。

 

そうしたときに五感をフルに使って、実体験できるこの里山というフィールドは私たちにとって、楽しくて仕方ない場所になっているのでしょう。

 

さて、次回第2話ではそれぞれの保育観にぐっと迫り、「こどもがまんなかの、しあわせなはぐくみのフィールド」をつくるヒントを探ります。

 

 

 

 

 

 

 

諸岡 江美子

諸岡 江美子

スノーデイズファーム(株)webディレクター/保育アドバイザー。1987年、千葉県船橋市生まれ。東京都内の認可保育園にて5年間勤務、その後新潟県妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校、自然保育専攻に社会人入学。津南町地域おこし協力隊を経て、現在はClassic Labとして独立。雪国の「あるもの、生かす」という生き方を研究している。編集者、エッセイスト。