雪の日舎
今日の佐藤の、かんがえごと

SALASUSUを訪ねて、カンボジアへひとり旅【5】ー旅を終えて。佐藤のひとりごと「チャレンジを持続可能にするための、よい問いを持ち続けているか」

2019.08.02

アイデア以上に、根本的な問いと向き合う機会に

SALASUSU工房の「ものづくりを通じたひとづくり」のリアルな現場を見学し、そして話を伺い、当時「くらしと、しごとと、こそだてが地続きで、多様な人たちで取り組める加工所を作るには、どんな場にしたらいいだろう」といろんな構想を練っていた私にとって、たくさんのインプットをいただきました。

 

もちろんSALASUSUの工房でも、彼女たちの小さなお子さんが工房のすぐそばにいて、穏やかで、しあわせな時間が流れていました。

社会的課題の解決に対して、企業のサポートもあり、そこから託児や栄養バランスのとれた昼食の提供などもされていました。

託児もあって、みんなでお昼ごはんも囲んで……
日本の農村でやるには、どういう仕組みならできるだろうと、考えさせられました。

 

チャレンジを持続可能にするための「よい問い」を、私は持ち続けているか

しかし、たくさんのアイデアやマネジメントの工夫、チーム運営の考え方などを吸収した一方で、SALASUSUの独立・起業という青木さん自身のライフジャーニーのお話を伺うことができて、より心うごく旅となりました。

 

SALASUSUとともにある青木さんのライフジャーニーから、新しいことにチャレンジするときの根本的な問いを、私もいただいたからです。

 

それは、「なぜ」をひたすら繰り返すこと。

 

なぜ、自分が、自分の人生でやる必要があるのか。
なぜ、取り組むのか。

 

毎日毎日、目の前のことに一生懸命取り組んでいると、考える暇もなくあっという間に日々は過ぎ去っていきます…。農業をやっているとなおさらで、立ち止まることができないまま、毎日変化してゆく季節の中で、適期を逃さず、ひたすら追いかけてゆく日々。

そうなると、その中での判断も、反射的になっていくんです。
反射的な判断の精度がよければいいのですが、
日々のたくさんのYES NOの判断のなかで、大きな決断も、よく言えば「直感」、悪く言えば無思考に「やったほうがいいこと」「社会的によさそうなこと」「求められてること」へと向かってしまうのかもしれません。
もちろん、判断を間違うことも多々あります。

 

加工所建設が中止になったことは、私にもう一度「なぜ」を投げかける機会になりました。

何度か会議でご一緒してからそのお人柄が大好きになった立命館アジア太平洋大学の学長・出口治明さんの書籍『知的生産術』でも、「なぜ」を3回繰り返すことの大事さを書かれています。
「なぜ」を繰り返すと腹落ちをする。腹落ちすると、社会の価値観、常識、成功体験、前例を鵜呑みにせず自分で考えることができる、ということでした。

 

新しいことへのチャレンジを前にすると、熱い情熱そのままに突き進みたくなりますが、青木さんが1年かけて「なぜ」を問い続けたように、大きなチャレンジの前に、立ち止まってなぜを繰り返すことが、チャレンジを持続可能なものにするのだと感じました。

 

自分自身という人間みがきで、商品とともに成長してゆく

また、商品を届ける側として、「資本主義をやわらかくしたい」という思いは、とても共感するものでした。

天日干し

いままで、農産物を届けるときに「作り手の顔が見えること」を大事にしてきました。

 

農産物(食)は全ての人にとって生きる上で必要なもの。
だからこそ、役に立つものではあるけれど、差別化がとても難しい。
そうなると、競争基準が価格になってしまうんです。

 

味がどんなに良くても、まずは1回食べてもらわなければ、購入前は味も判断基準にはなりません。
そして、生産者として、食べる人たちに伝えたいこともたくさんありました。だから、食べるひと、つくるひと、両方が歩み寄るような形をとりたいと思うようになりました。

 

農業の師匠からは「タダでもいいから、まずは食べてもらうんだ」と何度も言われました。

その後、価格以外で、手にとってもらう「意味」を商品に上乗せするには、「もの」ではなく、「ひと」で買ってもらうしかない。

 

こう思うようになったのは、滋賀で出会った有機農家さんの影響が大きいです。

実は移住してすぐの頃、滋賀のろうそく屋さんを訪ねてひとり旅をしたことがあり、そこの職人さんにご紹介していただいた若手有機農家さんがこう話してくれました。

 

「農業技術っていうのは、繰り返せば上達してそれなりのレベルになる。それよりも農家が注力すべきは、自分自身という人間みがきにある」

 

橋場さん

農業を通じて、生き方を師匠から学び続けていた私にとって、すごく納得する言葉でした。そして、野菜にQRコードがついていたり、直売所で生産者の写真が貼られていたりするけど、心にひっかかっていた「そういうのではない」という違和感も、スッキリ吹き飛ぶような気持ちでした。

 

「わたし」という生き方の延長線上に、商品がある、という感覚でした。

 

 

 

効率や経済性だけを優先してきた農村・農業に感じる生きづらさ。だから私がやりたいこと。

資本主義をやわらかく、そのために商品の向こう側が見えるようにすること。

それは私たちの挑戦にも通ずるものでしたし、このwebでも心がけていることでした。

 

私自身の産後始まった「雪の日舎」の活動。

そのはじまりは、くらし・しごと・こそだてが分断していることによる、生きづらさを感じたことからでした。

 

 

かつての農村や農業は、この3つがごっちゃになったところから、仕事や文化や価値が生まれていました。地域に住んでいると、地域の方々の屋号がそれを物語っていると感じることがよくあります。

 

ところが、経済成長によりそれらが分断し、効率と経済性だけが重視され、本当に大切なものが置き去りにされたのでは。くらしのすぐそばに農業がある中山間地域はなおさらです。新規就農者として、右肩上がりの規模拡大と成長を求められる農業において、就農後ずっと私が抱いていた違和感でした。資本主義がいきすぎた結果、人間も地域も「アイデンティティ」を失ってきたのでは。

 

▶︎このあたりは詳しくは「農あるくらしと、こそだて白書」で。

マーケットイン(消費者の人がほしいものを調べてつくる)の農業ができるのは、大規模効率化ができる平野部です。「必要とされている食べ物を作る」という土俵では、どうしても中山間地は限界があります。生産性が悪いぶん、そこを無理してがんばりすぎると、自分自身の身体や暮らしを壊してしまうと思いました。

 

うまく言葉にできなかったのですが、農業を数字で見る資本主義な選択をするばっかりではなく、もっと違う農業がしたい、と農業研修後ずっと抱いていました。

 

その思いは家族ができ、産後を経て、この場所の、くらし・しごと・こそだてが地続きで、混ざり合った中から、価値を生みたい、私がこの場所で作りたいもの・ほしいもの・心うごくもの・farming life を楽しむためのものを等身大で生みたい、という気持ちに変化していきました。

 

それは、生き方の延長線上から、意味のあるものを生むこと。

 

そのためには、私たちが、いまここの暮らしに精一杯向き合いチャレンジし、なによりも等身大で楽しむことが第一だと思いました。
それは、「この里山で、家族とともにわくわくする暮らしをしたい」と思い描いていた原点でもありました。
自分の人生は、自分が楽しむためにある、と。

 

 

なんだかかしこまった話になってしまいましたが、カンボジアの旅からたくさんのインプットをいただき、長い長い熟成期間を経て、1年経ったいまもなお私自身にインパクトを与える旅となりました。

 

私の身の回りにはSALASUSUの商品がたくさんです。
それらとともに暮らしていると、第4話で青木さんがおっしゃっていた

「楽しかったと感じられるように。お金がなかった、しょうがなかった、けどわくわくできる環境を作ることができたか、自分らしくいられたか、を常に問うていたいです。」

 

その言葉が、私にも問いかけてきます。

 

素敵なカンボジアのエシカルブランドSALASUSUとの出会いに感謝しつつ、素晴らしいカンボジアtimeをいただいたスタッフの皆様に、御礼申し上げます。

本当にありがとうございました!!これからも大好きなブランドです。

 

 

 

SALASUSU

カンボジア発のライフスタイルブランド
SALASUSU(サラスースー)。
日々の暮らしも、特別な旅路にもよりそう、シンプル&クリーンなラインナップ。
農村にある小さな工房で、近隣の女性たちによって、丁寧に仕立てられています。

佐藤 可奈子

佐藤 可奈子

株式会社雪の日舎 代表。1987年、香川県高松市生まれ。立教大学法学部政治学科卒。大学卒業後、新潟県十日町市に移住、就農。「里山農業からこころ動く世界を」がテーマ。著書「きぼうしゅうらく〜 移住女子と里山ぐらし」