雪の日舎
新米がやってくる!今こそ知りたい、お米とくらし

第2話 お米とはぐくみびと〔後編〕大人だって失敗してもいい。チャレンジする背中を見せよう~曽根藤一郎(橋場さん)×佐藤可奈子対談

2017.11.06

〔前編〕では、新米農家と先輩農家として、お互いの農業や思いについて語っていただく中から、はぐくみのヒントを教えていただきました。〔後編〕では、佐藤を農家に育ててくれた橋場さんに、年を重ねても生き生きとチャレンジし続けるそのパワーの源には何があるのか、紐解いていきます。

 

 

 23歳、都会から来た女の子を農家に育てる!というチャレンジ

移住女子と農家の師匠

佐藤 7年前に私が池谷に移住してきて、農業をやりたいと言ったときは正直どう思われましたか。

橋場 かなちゃんは、それまでに何回か池谷集落の復興ボランティアでは来ていたのだけれど、本格的に移住してきて農業をやりたいと話していた。そのときは、まぁどうせ物珍しくて思い付きで言っているのだろうと思ったな。じゃあ1日2日やってみて逃げたら逃げたでいいよという気持ちで始めたんだけども、そのときかなちゃんは、結構一生懸命やってくれたんだ。その姿を見て「お、これは」と思って、じゃあ俺のいままでの経験を教えようかってことで始まったんだ。

佐藤 田んぼも畑も橋場さんから借りていましたよね。

橋場 どうせやるんならってことでね。うちは強制的な減反(*1)があったんで、じゃあそこを試験的にやってみるかということで、ほんの少しだけ試しに貸してみたんだよな。
それで一年やってみて、もう少し農地が欲しいんじゃねぇかってことで、その次の年から少しずつ増えていったんだ。今は結構、一人前の反別(*2)を持っているんでなかなか大変だと思うよ。それをうまく管理していくには、やっぱり経験が必要。一応おらは作り方だけ教えて、あんまり手を出さないで本人が自分の考えでやっていけるようにしたんだけども、先が読めないからどうしても手遅れになって。先に延ばすと余計手間もかかるし骨も折れるしうまくいかないんだけどね。それがなかなか、まだ身に付いてないところなんだよな。

(*1)米の生産調整を図るため,稲作の作付け制限を行なうこと。

(*2)田んぼの面積のこと

移住女子に田んぼ作業を教える農家

農業一年目の春。一つひとつ丁寧に教えてもらう。

 

佐藤 農業を始めて最初の1、2年くらいはよくできるから、「農業楽しい!」と思っていたら、実は橋場さんが裏で全部やってくれていたのですよね。3年目くらいから徐々に橋場さんの手を離れていくにつれ、これは難しいぞと思いました。段取りと経験が大事で、失敗しながら、ああでもないこうでもないってやるようになりましたね。

橋場 なんでも仕事ってのはそうなんだけれども、一歩も二歩も先を読んで今の仕事をやらないと、どうしても遅れちゃうんだ。仕事に追われるんじゃなくて、仕事を追いかけるくらいの気持ちでやらないと。なんの仕事もそうだよ。

佐藤 だから春先、田植えも芋植えも終わって橋場さんが「やることがなくて、もうどう暮らしていいかわからない」って言っていたのが衝撃的でした。私はまだまだやることがたくさんあるのに、と(笑)

橋場 それはどこかに無駄があるんだ。例えば、うちの畑でも田んぼでも、草一本もないだろ。

佐藤 そうですね。橋場さんの田畑はすごい、美しすぎます。

橋場 なぜそうなっているかというと、草が伸びてもそのままにしておくと花が咲き、そのうち種を落とせば、またその草が生えてくるんだ。そうしたら、10年は草を片付けるのに骨を折らなきゃなんねぇという、先のことがわかるからだ。だから絶対に種を落とさないようにする。それでも生えてくるんだから。

佐藤 昔は草刈り機とかなかったじゃないですか?草刈りは手でやっていたんですか?

橋場 そう、手でやったんだ。除草剤もなかったから、全部手でやったんだよ。

佐藤 おおお。それは家族中でやらないとほんとに終わらないですね。

橋場 家族中でやっても間に合わないよ。

 

若者たちへ。「さらに上を行こうという気構えを持て」

移住女子に作業を教える農家

佐藤 私が農業を始めて今年で7年目になるのですが、いま改めて私の農業を見ていて思うところはありますか。

橋場 そうだなぁ。かなちゃんもいろいろなほうに手を出しているから、忙しいんだよ。だからもう少し段取りよくしないとだめだ。ただ作っていればいいんじゃなくて、なんでもやったら最後まで見届けるのが農家。俺はそういう気持ちでやっていて、農家であれば、よし、じゃあ人に負けないものをやろうという意気込みを持つくらいでないと。素人だから、人に負けてもいいやじゃなくてね。人間は後に戻るんじゃなくて、前に進むってことを考えないとだめだ。我々は80歳を過ぎても、まだ若い人たちには負けないという気構えだけは持っているんだよ。

佐藤 橋場さんはじめ、みなさん若いですもんね。

橋場 若い人たちはもっと若い力を前面に出していけばいいんだよ。「年寄りが何を言ってる」というような考えでいかないと。遠慮して、俺はだめなんだと、前に出れないんじゃだめなんだよ。

佐藤 いやぁ、遠慮しますね。

橋場 ちょうどおらたちが青年の頃は、農業をはじめいろいろなことが転換期だったんだよ。それもあって、年寄りの意見は聞かないで、若いもんでやってみようという気構えがあった。こんなやりかたじゃだめだって。年寄りもいたけれども、若いもんが中心になって動いていた。その若者の前向きさが、集落を守ってきたんじゃないかな。

佐藤 世代間でぶつかることって結構あったんですか。

橋場 あるある。そりゃあ、古い考え方のところに、若い人たちが入ってくると必ずどこかで衝突がある。それに負けない気力や体力を持つことで、バランスを保っていた。

佐藤 そこが怖くなってしまいますね。よそ者だと特に、村八分になってしまうのではないかと不安があります。地縁・血縁のない移住者と受け入れ地域というのは、そもそものつながりがないので。

橋場 移住者だって、そんな遠慮しなくていいんだ。こうふうにしてやればいいんだよと言ってくれれば、おらたちも無駄が見えると思うんだよ。今までその地域に住んでいた人たちは「こんなことして」と移住者を見ることもあるかもしれない。でも、どんどん言って行動していけば、そのうち「そうか、そういうやり方もあったか」って他の人たちも気が付くと思うんだ。

 

限界集落の農家

佐藤 勇気がいるものですね、それは……。

橋場 そして、自分でやってうまくいかなったときは、「これは俺が間違ってたんだよ」ってすぐその場で認めればいい。それを隠し隠しやると順々に悪くなってしまう。やっぱりものは正直にしねぇとだめなんだ。俺が思うにおまえは考え方はいいんだけども、それがうまくいくような段取りをとらないと。まぁたしかに八方美人になってしまうのもわかるんだけど。

佐藤 なりますね~怖いですから。勇気が必要ですね。嫌われる勇気、チャレンジする勇気、失敗を恐れない勇気……。

橋場 失敗は失敗で、どうしようもねぇ。失敗したら、「なんで失敗したんだ、じゃあその上をいこう」という気持ちで、何が失敗だったかよく考えるだけのこと。そんなのに負けてられるかということだと思うんだよ。どうしてもぐちゃぐちゃいつまでも考え込むような人はやっぱり前に進まねぇんだよ。だから冒険が怖いんだ。冒険をやって、失敗したら失敗したで次ステップするっていう考えじゃなければ、なにも変わらないからね。

佐藤 では、橋場さんのいままでのいちばんの失敗はなんだったんですか?

橋場 いやぁ、まあみんな失敗だよ。その失敗たちを直しながらやってきたんだよ。

 

お米をはぐくむ人、橋場さんをはぐくんできたチャレンジングな大人たち

限界集落の農家

佐藤 橋場さんのお父さんやお母さんもそんな感じの人だったんですか。

橋場 親父は全然。おれの孫爺さん(*3)がなかなかの人物で。こんな山ん中で冬だけ機屋(はたや)始めて、成功した人で、親父はその下にいたんだ。

(*3)ひいおじいさん

佐藤 おじいちゃんがすごかったんですね。チャレンジャーというか起業家というか。

橋場 ここらで電話なんて全然なかったころに、電話を入れたりもしていたんだ。

佐藤 新しいことをしていたんですね。

橋場 まぁ先が見えたんだよな。だからここで機屋をやって、冬に仕事がねぇ人たちを出機で織らせて、この部落にかなり収入を入れたわけだ。近郊の人たちもうちに泊まってやっていた。

佐藤 その人たちのごはんはおばあちゃんが作っていたのですか。

橋場 いや給食をつくる人たちを雇っていた。だって20人も30人も働いていたから。

佐藤 え?20人も30人もって、それは一大事業ですね。このむらに30人もいれば大企業ですね!

 

記憶に残る、新米先生のチャレンジ

佐藤 橋場さんが今までの人生の中で、特に思い出深い出来事はありますか。

橋場 いろいろあったけど、小学校6年生のときかな。市街から新米の先生が分校に来たんだ。その人がまた弁説家で。この辺はなかなか外には行かなかったんだけど、その先生は海水浴に連れていってくれたんだ。その頃は、山あいに住んでいたら海なんて見たことがない。それがうれしくてな。よそのところを見せるということで、先生が連れていってくれたんだ。
分校の裏にあるあのごうぎ(*4)な山も昔は谷だったんだよ。それをその先生が飛渡(とびたり)地区の若い人たちを引っ張ってきて、そこを崩して土を入れてグラウンドを作ったんだ。

(*4)すごい

 

池谷分校

現在の池谷分校。この裏にグラウンドを作ったという話は佐藤も初耳だったという。

 

佐藤 その先生はしばらくいたのですか。

橋場 そうだな。7、8年いたんじゃないかな。高校を卒業してから分校に先生として来て、今度は大学を自分で出て、高校の先生になったんだ。

佐藤 すごいチャレンジングな先生だったんですね。学校の先生でそこまでできるなんて……

橋場 いやあ大した先生だったんだ。ただその先生は新しいことをいろいろとやったんで、村の人は負担が増えるし骨折れるからって反対したんだよ。「先生なんていらないから、出てってくれ」なんて言ったんだ。

佐藤 えぇ、それこそ村八分じゃないですか。

橋場 そうだ。村八分だ。それでもそれに負けないで。大したもんだ。

佐藤 それは強い先生でしたね。若いのにすごい。

橋場 大した先生だったんだよ。だからそういう影響がいまのおらたちにあるんじゃないかな。我々がそういう先生につけたことはすごくいいことだった。

 

だめだったらだめでいい。思った通りにやってみろ。

限界集落の農家

佐藤 さて最後になりますが、今年から私の農園は「雪の日舎」としてリニューアルし、農村を未来につなげていくために新たな展開を広げていこうと思っています。それは、橋場さんから農業のことだけではなく、地域のことや確かな生き方をたくさん教えてもらったからこそ、取り組んでいきたいことなんです。私の人生の師匠でもある橋場さんから、雪の日舎のスタートにあたり思うことを、一言いただけると嬉しいです。

橋場 おまえの思った通りにやってみろ。いまやらなきゃだめなんだ。いまがチャンスなんだ。やってみろ。弱気じゃだめなんだよ。まだ若いんだから。やってみてだめだったらまた投げればいいんだから。ぱっぱと切り替えなければ。いつまでもぐずぐず考えて実行に移さないのがいちばんだめなんだ。だめだったらだめでいいんだよ。

佐藤 だめだったら、まわりからいろいろ言われそうだなと思って尻込みしてしまいますね。

橋場 だめだったら引っ込むんじゃなくて、失敗したら今度はこうだっていうふうにやるんだよ。

佐藤 失敗から学んで進んでいけばいい……そうですね。力強い言葉をいただき、ありがとうございます!まだまだ橋場さんの背中を追いかける途中の私ですが、今度は娘や次世代の子どもたちに自信を持って自分の背中を見せられるようにチャレンジしていきたいと思います。

師匠の話を聞く移住女子

 

「お米をはぐくむ人」がどんなひとなのか、どんな思いではぐくみ続けているのか、そこから私たちが日々の暮らしや子育てに活かせる視点はあるのかを深堀りしたいと始まったこの対談企画。おふたりの「米作り」から見えてきたものは、はぐくむものは違えど、農家ではない私たちにとっても生きていく上で大事な視点ばかりでした。

農業歴68年の橋場さんから見たら、まだ7年目の佐藤はまだまだ新米農家。ときに厳しい指摘がありながらも、橋場さんが佐藤にかけることばたちは、いつも力強く背中を押してくれることばで溢れていました。橋場さんはそうやって、7年間「佐藤可奈子」という一人の女の子が一農家になる過程を、お米と同じようにはぐくんできたのでしょう。そして佐藤へ向けられたことばは、橋場さんが佐藤と同じようなこれから未来を作っていく若者たちに向けての願いのようにも聞こえました。80歳を過ぎてもなお、「若いもんには負けない」といきいきと語る橋場さん、その人生の半歩先には孫爺さんや小学校の先生というチャレンジングな大人たちがいました。そうしてつないできた暮らしや農業、そして生き方を、私たちは次世代の子どもたちへつないでいけるでしょうか。いま私たちに問われていることのように思いました。

私たち人間はまわりの大人の姿を見て育ちます。未来を作っていく子どもたちをはぐくむ私たちは、いまこそ橋場さんのような大人の姿から学び、たくさん失敗をし進んでいく必要があるのではないでしょうか。つまずいて、泥臭くても、かっこ悪くても、そんな姿を子どもたちに見せられる、そんな大人でありたいですね。

 

橋場さん、お忙しいなかたくさんの大事な視点を教えていただきありがとうございました。

移住女子と農家の師匠

 

 

 

■橋場さんに教えていただき7年目!

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