第8話 「子どもの頃の体験が、人生のベースに」農家・中島弘智編〜はぐくみストーリー〜
2017.09.29
ここでは、メンバーたちが今にいたるまでにはぐくんできた各々のストーリーを、ご紹介します。6人目は中島弘智です。
はじめまして、中島弘智です
母親の実家のある越路町(現長岡市)で生まれ、横浜市で育ちました。子どもの頃は夏休みになると、長岡のおばあちゃんのうちに遊びに行っていました。その記憶から、田舎にはずっと親しみがありました。そんな子ども時代を過ごした私が、様々な経験を得て十日町市三ケ村で農業を営み、今回雪の日舎のメンバーになるまでのお話をしたいと思います。
海外での日々、おもむくままに
大学在学中には、何度も海外に行きました。メキシコにタイと、ワークキャンプを利用して行き、キャンプ終了後もそのまま何週間か滞在させてもらったり、1年間休学してアフリカを旅したこともありました。アフリカ旅行中は、都市部にも行くけれど、どんどん山の中にも行って、全く知らない人のうちに泊まらせてもらったり、おもむくままに旅をしていました。特に目的があったわけではなく、とにかく現地に行って暮らしてみたかったんです。
海外を転々と旅して思ったことは、思った以上に自分が日本のことを知らなかったなということでした。この頃から私の中に、日本でも田舎とか山の中に住むことができないかなという思いが芽生えていたのだと思います。
全国の農家をスーパーカブで回る!
とはいえ、実際この頃は田舎に住みたいと明確な目標を持っていたわけではなく、なんとなく就職先を探していました。その中で、縁あって農山漁村文化協会(農文協)という農業関連の出版社に採用していただき、3年間働きました。その会社には、日本の農業とか農村を大事にしていきたいという思いがあり、全国の農家さんを回り本を売ったり、農家さんのリアルな話を聞いて本作りに生かすことが私の仕事でした。同時に、各地を転々とするいまの働き方だと、地元が大事だよと言いながら、自分の地元はなかなか作れないという葛藤もありました。
そんな中、やはりどこか日本の田舎に1年くらい住んでみたいという思いが大きくなり、東京で開催されていた新潟県の田舎暮らし説明会に参加しました。そのときに参加していた地域の一つが十日町市の三ケ村でした。
すぐに地域の担当者に電話をすると「いつでも来い」との返事。実際に見学に行ったときには地域の担当者の家に泊めてもらい、夜通し飲んで語り合ったことを覚えています。
導かれるように、農業の道へ
三ケ村に来た当初は、大学時代に海外を旅したときのような感覚で1ヶ月~長くても1年くらい暮らせたらいいなと思っていました。「山の暮らしがしたい」という思いで来たので、ただ暮らして、地域を歩いて、人と話す、そんな日々が楽しかったのです。
その頃は今のように移住支援策もなかったので、地域に来たところでなにかサポートがあるわけでもなく、収入を得るための仕事として農業を紹介してもらいました。それが農業を始めるきっかけとなったのです。その頃、特に農業がしたかったというわけではありませんでしたが、できれば地元に必要とされる仕事がしたいなという漠然とした思いはありました。それが私にとっては農業だったのだといまでは思います。当時は三ケ村には働く場所がなく、他の地域の農業生産法人に働きに出ていたのですが、三ケ村にも「農事組合法人 ふれあいファーム三ヶ村」ができてからは、中心メンバーとして関わらせてもらっています。
家族が増えた、三ケ村の日々とこれから
1年くらいで帰ろうと思っていた三ケ村での暮らしを続けるきっかけになったのは、妻の存在でした。三ケ村に来た当初はまだ結婚していなかったのですが、月に一度くらい横浜から三ケ村に遊びに来ていました。その時に、地域の人が飲み会に誘ってくれたり、本当によくしてくれて、彼女も三ケ村が好きになっていったんですね。それで「ここに住んでもいいかな」と言ってくれたんです。その妻の一言と、地域で世話してくれた人が頼れる人だったことが、三ケ村に住み続けたいと思う理由でした。
そして私が三ケ村に来て1年経つころ結婚し、妻とふたりでの三ケ村での暮らしが始まりました。
また、私は仕事として農業を始めましたが、必ずしも専業農家としてバリバリ稼ぐ農業をしたいという気持ちでもなかったんです。「山の暮らしがしたい」と飛び込んできたので、稼ぐためだけの農業ではなく、山間部の人たちの暮らしを維持していく農業をしたいと思っていました。
ふれあいファーム三ケ村の思いも同じだったので、地域とともに歩んでいける農業を考えると、ここがよかったんですね。私の一番の目的は三ケ村をなんとか維持して、よくしていくということ。三ケ村がよくなって、池谷のように周辺地域、十日町、さらに新潟というふうに広げていけたら一番いいかなと思っています。
子どもの頃の経験が、人生のベースに。いま、伝えていきたいこと
都市部の人たちがを田舎だと思ってくれるような地域にしたいです。都市部の人たちに対して、私が小さい頃新潟に遊びに来ていたような環境を今度は自分たちが作って、夏休みに遊びに来てもいいし、作った野菜を送ってもいいし、いつでもつながっていられるような田舎にしたいと思っています。生産者としての立場で、何かを作ったりとか、体験を受け入れたりできたらいいなと思っています。そのためには、田んぼを作らなければいけないし、まわりの自然環境を守らないといけない。米だけをいっぱい生産するというのはやはり違うなと思っていて、子どもたちが来たときに蛍がいっぱい飛んでいるような地域を守らないといけないし、農業をしながらもそういう地域にしていきたいなと思っています。ふれあいファーム三ケ村としてもそう思っているし、雪の日舎でも同じようなかたちで関われればいいなと思っています。これから育っていく子どもたちに働きかけていきたいですね。子どもの頃の体験って大きいですからね。自分自身、いまの人生のベースになっていますから。そういう経験をいまの子どもたちにもしてほしいなと思いますし、そういう田舎を維持していきたいです。
そしてもうひとつ、この地域にいていいなと思うのは、子どもからお年寄りまでの交流があることですね。そのような交流は都会ではないですし、核家族が増えて家の中でもなくなってきていて、知らない人と話をするということができない世の中になってきていると思います。またそのような交流は、人が住んで地域が維持されていないと出来ないことです。そのような地域と人との交流も、雪の日舎と一緒にできたらいいなと思っています。

中島 弘智
農事組合法人ふれあいファーム三ヶ村理事。1979年、新潟県越路町生まれ、神奈川県横浜市育ち。大学卒業後、4年間の農業関係の出版社勤務を経て十日町市に移住、就農。
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