雪の日舎
週のおわりに、移住女子

「移住女子」から「農家ヨメ」へ〜滝沢加奈子さん 新潟県津南町赤沢

2018.03.24

「移住」とは、暮らす場所を変えること。それは人生における一つの変化であり、一つの選択です。「移住」のきっかけは、人それぞれですが、移住女子たちに共通するところは、「移住」という一つの変化の中で、どう自分らしく、心地よく生きていくかに真摯に向き合っているところなのではないかと気付きました。

それでなくても女性は、結婚、出産、子育て、介護など、ライフステージの変化に心も体も環境も影響されやすいです。その分、しなやかであるけれど、悩むことだってたくさんあります。だからこそ、移住女子たちは、変化の中でも何を大切に生きていきたいのかがよく見えてくるのだと思うのです。

そんな移住女子たちのリアル、そしてしなやかさを、1週間のおわりにお伝えすることで、週末の時間にあなたにとっての「自分らしく生きる」を考えるきっかけになり、新たな気持ちで次の1週間に向かうことができたらうれしいです。

 

 

 

「移住女子」から「農家ヨメ」へ

第2回目に取材したのは、元祖移住女子とも言える滝沢加奈子(旧姓渡邉)さんです。

 

加奈子さんは、2003~2004年に大学の調査研究で長野県栄村に通ったことをきっかけに、「村の人たちのようになりたい」と2008年に栄村に移住。その後は栄村青倉に住み、米の生産や販売、直売所やNPOの手伝いなど、村の猫の手になるべく様々な生業を組み合わせながら暮らしてきました。

 

また雪の日舎の佐藤可奈子と共に、フリーペーパー『ChuClu』(*1)を創刊、「移住女子」としても様々な活動にも取り組んできました。

 

そんな加奈子さんの移住人生に変化があったのは、2017年のこと。共通の知り合いを通して出会った隣町・新潟県津南町の農家さんとの結婚が決まったのです。

 

栄村に魅了されて移住し、9年。大好きだった栄村を離れ、隣町へ嫁ぐ心境はどんなものだったのでしょうか。

 

(*1)新潟への移住を応援する「にいがたイナカレッジ」と共に、新潟や長野に移住した女子4名が、中山間地の暮らしや農業、人を紹介する小冊子。

 

栄村らしい結婚のかたちだった

©2016 studioHATOYA

「付き合う段階から、いずれ結婚するんだろうなという思いはありました。さらに相手は農家、結婚したら嫁に入ることになるだろうという道筋が見えたんですよね。

自分としては、津南は近いからいいかなという思いで納得させていました。また、栄村のお母さんたちも『目の見えるところに行くからよかった』と言ってくれました。隣町の津南は栄村の住民にとっては生活圏。もともとスーパーに買い物に行ってばったり会ったり、同じ美容院に通ったりということがあったんです。

栄村の人にしてみれば、『大阪に帰ってしまうんじゃないか』と思っているところもあったんでしょうね。本音を言えば栄村にいてもらいたかったというのはあるかもしれないけど。」

 

移住女子に期待されることとしてよく話に上がるのが、その地域の人との結婚。それはデリケートな話題であるがゆえ、いまの時代ではその話題自体ナンセンスだという雰囲気もあります。ですが、その地に暮らす人として移住してきて仲良くなった子に、純粋に地域にずっといてほしいと願うのは自然なことでもあるんだろうなと思います。

とはいえ、こればかりはそう簡単にいかないのも事実。

たまたま好きになった人が、隣町の人だったということはよくあることです。

それでも、その地域が好きで移住してきた身としては、寂しさやもどかしさでいっぱいになることもあるのだと思います。

ですが、加奈子さんの次の言葉に「なるほどなぁ」と納得しました。

 

「実は話を聞いていると、栄村らしい結婚のかたちだったんだなと気付いたんです。」

 

もともと栄村から隣の津南町に嫁いでいく人は多く、その逆もあったそう。栄村と津南町では親戚関係が多いのです。そう考えると、確かに「栄村の人らしい結婚の仕方」と言えます。

それはある意味、加奈子さんが「栄村の人」になったということでもあるのかもしれません。

 

 

 

栄村と津南町、ゆるやかに居場所を行き来する。

加奈子さんが嫁いだ津南町の赤沢集落からは、栄村の山がよく見えます。この日も栄村の山々をバックに雪下にんじんの収穫間近の畑の写真を撮っていました。

 

加奈子さんは津南町に嫁いでからも、週末に栄村の直売所に手伝いに行っています。そこでは、出荷に来たお母さんと話すことが楽しみになっており、村の雰囲気を少しでも知りたいという思いは今も持ち続けていました。

 

嫁ぐ前に関わっていた、青倉集落のお米の生産や販売については、現実、米を作ることも売ることもできないので、バトンタッチしたとのこと。

 

「仕事はなくなったけれど、青倉にはしょっちゅう行ってますね。自分の居場所をスパッと切って来るっていうのはやっぱり難しい。栄村に移住したときも、学生の頃に通っていたから顔見知りの人がいたんです。そうやって少しずつシフトしていくことが、ポイントだと思っています。」

 

そう語る加奈子さんからは、丁寧でありつつ肩の力の入りすぎない、しなやかさを感じました。

 

 

 

「新しいことを知る」農家ヨメの日々

農家のヨメとなった加奈子さん。旦那さんや義理のご両親と一緒に農業を手伝っています。栄村にいた頃も、集落の農家組合で米作りに関わっていたものの、専業農家ともなるとその規模は全く違います。

 

「農作業の段取りは大体わかるけれど、規模が大きくてかなり戸惑いました。やったことのない作業がいっぱいあって。青倉でやっていたことなんか全然比にならないんです。自分の知らないことがたくさんあるんですよ。その知らなかったことに面白さを感じて、SNSで「農家ヨメの日々」というタイトルで投稿していたんですよね。そういうのは楽しかった。こんな機械があるんだ〜とか、こういう作業があってこのためにしているんだとか、知らないことを知ることは楽しかったです。今度は2年目、何に面白さを見出そうかなと、今から考えているところです。」

 

さらに加奈子さんは、「農家ヨメ」を「嫁」としてではなく、「農家ヨメ」という「仕事」のようにも捉えていました。

 

「結婚してここで農家の手伝いをするようになったんですけど、30歳すぎて難しい試験もなくジョブチェンジできたということでもあるんですよね。新しい能力を得られたというのはよかったなと思っています。それが自動的に仕事になって、稼げて。結婚することで自動的にジョブチェンジできると考えると『農家ヨメ』って結構いいかもって思いますよね。」

 

農繁期には休む暇もない専業農家のヨメ、大変なことを数えたらきりがないけれど、そのなかでも「面白さ」や「ポジティブなこと」を探して楽しもうとする加奈子さん。「農家のヨメになる=ジョブチェンジ」という斬新な見方は、向上心のある加奈子さんらしいなと思いました。

 

 

 

 「移住女子」と「ヨメ」、主体性の変化

「地域によそ者が入る」という点では、「移住女子」も「ヨメ」も同じなのですが、その扱われ方や立場は全く違います。

その象徴的なエピソードとして、加奈子さんは「カネツキ」という行事を教えてくれました。

 

「隣組(*2)の中で女の人たちだけ出て来て、嫁を紹介する行事なんです。うちのヨメです、よろしくお願いしますって。カネツキによって、その集落にちゃんと紹介され、集落の人間として認識されるんです。こういうことは移住女子のときはなかったですよね。」

 

集落の人間として、きちんと紹介されるということは、誰も知り合いがいない地域に入っていく際には、とても心強いものであると思います。ここだけ聞くと、「嫁っていいな」と羨ましく思う移住女子の方もいると思うのですが、嫁ならではの葛藤もあるようです。

その背景にあるのは、「自分が世帯主ではない」ということ。

 

「『移住女子』のときは、自分が世帯主だったので、いろんな区の会合に出たり、役員をしていたんですよね。嫁になってからは、自分が出て行く場面がなくなりました。それって家以外に属すところがないんですよ。

『移住女子』ってそこに住むようになって、自分で人間関係を作っていくじゃないですか。

でも嫁だと、その家族の一員として人間関係ができています。事前情報もどんどん入ってくる。そうすると自分で作り上げるものが少ないんですよ。家だって出来上がっているし、人間関係もできあがっているんです。」

 

ましてや農業のような家族で働くスタイルの場合は特に、外に出るきっかけも持ちにくいですよね。そんななかでは、だんだんと主体的に動く気持ちがなくなって行ってしまうのもわかる気がします。

 

「以前だったら3月のこの時期に行事があるから仕事をいれないようにしなきゃとか思っていたんです。それが今はわからないし、考えることもなくなってきているなぁと。

受け身になってしまっているんですよね。私、前はもっと自分から何かをしようと思っていたような気がするのに、今は流されている感じがしていいのかなって思ってしまいます。」

 

加奈子さんは、戸惑う気持ちを正直に話してくれました。

 

(*2)町内会の下に属する互助組織。通常は5〜20軒くらいで構成され、ゴミ出しや配り物などもその単位で行われる。

 

 

 

変化に対して自分の気持ちがついていかない、それでも試行錯誤しながら折り合いをつけていく

今までは栄村にずっといて、地域おこしに携わっていたいと思っていた加奈子さん。

今はその気持ちが、パタンとなくなってしまったと言います。

関わっていたいと思いながらも、実質できることもなくなってしまうと、結局興味の対象も変わってしまう。

それは自然な流れなのかもしれません。

加奈子さん自身も、

 

「それでいいのかという気持ちもありつつ、折り合いをつけて行くしかないという感じですよね。」

 

と話していました。

その葛藤は、しんどいものでもあると思います。

そんななか、加奈子さんはお義父さんのこんな言葉も聞き流さず、心に留めていました。

 

「いまうちはキャベツ農家だけど、昔は牛をやっていたんだ。それから、いろんな作物を作ってみて、試行錯誤して今に行き着いたんだ。

自分にあったものを見つけることが一番だよ。」

 

人生を歩んでいくなかでは、変わっていくことは必然です。わかっていても気持ちがついていかない。うまくまとまることなんて、きっと誰にもできない。それでも、自分にあったものを見つけるために試行錯誤するしかない。農業という自分の力だけではどうにもならないものと、真正面から向き合ってきたお義父さんからの言葉は、きっと説得力もあったのでしょう。

 

変わりゆく自身のライフステージや環境の中で、葛藤を抱えながらも一筋の光を見出してゆく加奈子さん。その根底には、常に自分という内なるものと地域や社会に対する外なるものへの関心、問いを持ち続ける真面目さと、そのなかにさらっと面白さをプラスしていく大阪出身らしい関西人気質が、絶妙なバランスで存在していました。

 

加奈子さんのように、どんな状況でも光を見つけ楽しもうとする心意気があれば、変化に戸惑うわたしたちの毎日も少し違った角度から見ることができるかもしれません。

 

あなたの過ごしたこの一週間にも、きっと小さな光が射し込んでいるはず。

せっかくの週末、少し振り返ってみませんか。

 

 

お話を聞いた人

滝沢加奈子

1982年生まれ。大阪府出身。大学の調査研究をきっかけに通うようになった長野県栄村に2008年に移住。2017年に隣町・津南町の農家と結婚し、現在は農家手伝い、新聞社の事務、直売所手伝いなど小さな仕事を組み合わせながら、「農家ヨメの日々」を発信している。

 

栄村青倉集落

栄村の中でも千曲川沿いにあり、裏側には関田山脈が迫る57世帯の集落。(平成26年統計)耕作放棄地の発生を防ぎ、山村の米作りを守るために立ち上がった若衆(わけしょ)たちで構成される「青倉受託作業班」や、そのお手伝いをする「栄村ネットワーク」などが集落を未来に繋げるために活動している。

 

津南町赤沢集落

津南町の中でも標高が高く、台地が広がり見晴らしのいい集落。晴れていれば、栄村の山や、遠くは妙高山まで見える。世帯数は124(平成30年2月統計)と多く、農地も広いため専業農家も多い。「赤沢神楽」という伝統行事が残っており、7年に一度の神楽の日は町内外から見物客で賑わう。

 

 

 

 

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諸岡 江美子

諸岡 江美子

雪の日舎webディレクター/保育アドバイザー。1987年、千葉県船橋市生まれ。東京都内の認可保育園にて5年間勤務、その後新潟県妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校、自然保育専攻に社会人入学。津南町地域おこし協力隊を経て、現在はClassic Labとして独立。雪国の「あるもの、生かす」という生き方を研究している。編集者、エッセイスト。