失敗してもいい。つまづいて、また歩き出そう〜「波と母船」代表・屋村靖子さん 新潟県糸魚川市鬼舞
2018.04.19
「移住」とは、暮らす場所を変えること。それは人生における一つの変化であり、一つの選択です。「移住」のきっかけは、人それぞれですが、移住女子たちに共通するところは、「移住」という一つの変化の中で、どう自分らしく、心地よく生きていくかに真摯に向き合っているところなのではないかと気付きました。
それでなくても女性は、結婚、出産、子育て、介護など、ライフステージの変化に心も体も環境も影響されやすいです。その分、しなやかであるけれど、悩むことだってたくさんあります。だからこそ、移住女子たちは、変化の中でも何を大切に生きていきたいのかがよく見えてくるのだと思うのです。
そんな移住女子たちのリアル、そしてしなやかさを、1週間のおわりにお伝えすることで、週末の時間にあなたにとっての「自分らしく生きる」を考えるきっかけになり、新たな気持ちで次の1週間に向かうことができたらうれしいです。
一筋縄ではいかない、移住生活
第3話は、新潟県糸魚川市鬼舞に移住した、屋村靖子(おくむらやすこ)さんです。
屋村さんは、埼玉県出身、東京でアウトドアブランドの広報などを経験したのち、新潟県に移住しました。
「初めてここに来たときに、一目惚れしました」
と話す屋村さん。
日本海をまっすぐと見下ろす、集落の神社。
一段一段と階段を上るたび、頰を撫でる海風が心地よい。
屋村さんの暮らす家は、神社までの階段を途中まで登ったところに位置しており、なんだか清々しい気持ちになる場所でした。
「ここに住み始めてから、回覧板が回ってくるんです。はじめは回覧板だけだったのが、次は野菜が置いてあったり、それに対してお返しをしたら、またお返しが来たりする。……なんかね、幸せ。一言で言うと。東京を離れて、求めていたものがいま全部叶っているんです。」
そう笑顔で話す屋村さん、本当に心地よい場所に出会えたのだなぁと伝わってきます。
しかし、実は移住して初めて住んだ場所は、ここではありませんでした。
その場所とは、糸魚川市から車で2時間ほど離れたところにあります。同じ新潟県といっても海辺の糸魚川とは真逆の、山のなかのまち、津南町。
屋村さんは、知人を通して津南町と出会い、「民宿を開く」という目的のもと、物件を探していました。しかし、条件に合う物件が見つからず、津南町に暮らして1年後、糸魚川市鬼舞の家と出会い、今に至ります。
「はじめに移住したとき、うまくできなかったのかなぁって思いますね。いまはおかげさまで、糸魚川市でやりたいことが実現し始めていますけれど、こうやってうまくいけばいくほど、発信したときに津南の人は嫌な気持ちになるのかなって思ったりするんですよ。本当によくしてもらった人が、いっぱいいたから。」
屋村さんが津南町にいた期間は約1年間。そのなかでお世話になった人たちのことを考えると、やりきれない気持ちがありました。
「でも糸魚川の人たちと繋げてくれたのも、津南や周辺地域の人で。
それがなかったら、糸魚川に来ても本当に誰も知らなかったんです。そこで繋がった人たちが、糸魚川のさまざまな集まりに誘ってくれたことで、ネットワークもできていきました。
そう考えると、津南町でも悪い生き方はしてなかったのかなって思います。」
ここに住みたい、そう理想を持って移住したはいいものの、その土地で住みたい家に出会えるか、やりたい仕事や暮らしができるか、価値観の合う仲間ができるか……さまざまな事情のなかで、「その土地を離れる」という選択をすることもあるでしょう。
そんなときに、後ろめたい気持ちだけではなく、どう自分の気持ちを納得させていくかということも、前に進むためには必要です。
屋村さんは、その葛藤をどうやって乗り越え、いま前を向いて進めているのでしょうか。
津南町を離れたのは、津南町が好きだったから
はじめに交渉をしていた物件が、ダメになったとき、屋村さんは津南町の中でも、他の物件を探していたと言います。
「いろんな人が、空き家を探して紹介してくれたりしました。でも、なかなか条件の合う家に出会うことができなくて、津南町だけではなく周辺地域にも目を向けるようになりました。
今の糸魚川の物件を見つけたきっかけは、1冊の本と田舎暮らしの物件情報サイトでしたね。
実際に見に行って、一目惚れはしたものの、実際のところはとても迷っていました。
それまで、津南町に住みたいと思ってきて、たくさんの人と繋がりができたり、頼りになる仲間にも出会えた。その関係性を捨てることも覚悟で、また新しい土地へ移ることは大きな決断でした。」
では、それだけの覚悟が必要とわかっていて、なぜ津南を離れる決断ができたのでしょうか。
「津南町が好きだったからですね。
改めて物件を探し始めた頃は、毎日毎日愚痴をこぼしていたんですよ。
仕事も辞めて津南町に来て、住む家も決まらない。1年間に何度も町内で引っ越し。家が決まらなければ事業も始められないので、いろいろなところでバイト生活。
そんななか、決まると思っていた家がダメになり、先の目処も立たない。
不安と焦りの毎日でした。
でも、その愚痴を聞いてくれていたのも、津南の人だったんです。
こんなにいい仲間もできたのに、このままじゃ大好きな町のことをずっと悪く言ってしまう。
そんな自分が嫌でした。
前に進まなきゃいけない。
そう思って、自分の夢の実現に向けて、現実的に歩めそうだった道を選ぶことに決めました。」
たった1年でも、住民として認めてくれた仲間たち
「でも、津南でお世話になった人たちからは、怒られましたよ。」
屋村さんは、決意までの間の仲間とのやりとりについても話してくれました。
「私が、津南でできないなら違う町を選ぶしかないって言ったときに、ものすごく怒られました。
『俺は津南が好きだから、津南でできないから他に行くなんて簡単に言えない。』
って。
私ももう切羽詰まっていたから、
『結局みんな、津南にいるから仲良くしてくれるだけなんだ!』
みたいなことを、泣きながら言ってしまったんですよね。
そうしたら
『そうだよ。津南でなにかやってくれるって言ってたからだよ。』
って言われて……
もう私、大泣き(笑)
でも、後から考えると、1人の人間に対して、そこまでワーワー言ってくれる人たちって、なかなかいないなぁって思ったんですよね。
実際糸魚川に来てからは、まだそこまで思いをぶつけられたり、怒られたりって言う仲間はできていないんですよね。だから、特別だったんだなぁと思います。」
そんな津南町の仲間たちとは、いまはどんな関係なのでしょうか。
「昨年、津南でイベントがあったときに、顔を出したら『おかえり〜!』って迎えてくれたんですよ。
私は津南に向かう途中内心ドキドキで。
『お〜帰ってきたか』って迎えてくれたのが、本当に泣きそうなくらい嬉しかったんです。
だから『嫁に行った』と仮定すれば、津南町はふるさとですよね。
地方移住してみて、津南では自分のやることに納得できなかったし、うまく進まなかった。でも、地方に来たことを嫌だとは思わなかった。それは何より津南で出会った人たちのおかげなんだと思っています。だからこそ、糸魚川でもう一度挑戦しようと思えた。全部原点なんですよね。」
「自分のために」が「地域のために」へ変わるとき
津南町での失敗があったことで、糸魚川に移ってからのこの一年は、もう一度「地域で暮らすための方法」を考えたという屋村さん。
手書きの自己紹介のチラシを作って配ったり、呼ばれる行事やおばあちゃん達の体操に参加したり、とにかく地道にできることをやってきました。
「怒られることもあるんです。
庭の草刈りをしていなかったり、仕事してるから農道作業に出れなかったりして。まぁ怒られると言うか、『組でやってるから迷惑かかるしのぉ。張り合いがないのぅ』って言われる。でも怒られることすら心地いいんですよね。地域の一員としていれてるんだなって思うから。」
そんなふうに徐々に地域に馴染んできた屋村さん、実はいま糸魚川市にある温泉施設「長者温泉ゆとり館」の運営を引き継がれています。
このゆとり館の指定管理者を募集していたとき、初めは自分1人でやれればいいかなと思っていた屋村さん。気心知れた若者たちでやって外部から人を呼び、そこだけ盛り上がればいいと思っていたと言います。
それがいつからか、地域の人たちのために、地域活性のために、あの場所がなきゃダメだと思うようになります。
「あのおばあちゃんだったら、手作りのものが作れるから、教えに来てほしいなと思ったり。
いつも温泉にたまっているおじいちゃん達も、イノシシとかクマとかを駆除して、昔はゆとり館で鍋にして食べてたんだって聞いて、それを復活させたいと思うようになったり。
そんな場所ができたら、来た人たちは絶対に喜ぶのに!って。
自然に思考が地域のためにって変わってきました。
自分でも、地域に恩返ししなきゃいけないというふうに変わっていったのが、意外なんですよ。
元々は、自分が楽しければいいって思っていたタイプだったから。
そう思うようになったのは、地域の人の顔が浮かぶようになったからなんだろうなと思いますね。
すごく大きな目標になってしまったけれど、できる気がする。
みんながいてくれたらできる気がするんです!」
最後は力強く、そう話してくれました。
つまづいたから、自分自身とまっすぐ向き合えた
そんなふうに思考が変わっていったことも、津南町での失敗があったからだと、屋村さんは話します。
表面的な情報だけ見ていれば、「津南町で家が見つからず移住失敗、仕方なく他の地へ」という失敗事例にしか見えません。
でも屋村さん自身は、その失敗を生かして確実に前に進んでいました。
次への道が拓けた理由、
それは、空き家の数やサポート体制などの外的要因だけではなく、屋村さん自身が失敗を経験したことで、自分自身と正面から向き合い、変わることを恐れずに、柔軟な考えで新しい地域に入ることができたからではないでしょうか。
泣いたり笑ったり。
そのときの心情が思い浮かぶように、コロコロと表情を変えながら話す彼女の姿から、そう感じました。
まだ始まったばかりの「ゆとり館」ですが、この施設の運営を任される上では、地域の区長さんたちからも推薦があったそうです。
その区長さんたちの気持ちも、とてもよくわかります。
周りにも、自分にもまっすぐに向き合い、いつでも等身大な屋村さんは、なんだか無性に応援したくなってしまう存在なのです。
お話を聞いた人
屋村靖子
1986年生まれ。埼玉県出身。2015年に新潟県津南町に移住したのち、2016年に同県糸魚川市に移住。現在は「地域 残し」を信条に「波と母船」を立ち上げ、糸魚川市の管理施設「長者温泉ゆとり館」の運営を引き継ぐ。
諸岡 江美子
スノーデイズファーム(株)webディレクター/保育アドバイザー。1987年、千葉県船橋市生まれ。東京都内の認可保育園にて5年間勤務、その後新潟県妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校、自然保育専攻に社会人入学。津南町地域おこし協力隊を経て、現在はClassic Labとして独立。雪国の「あるもの、生かす」という生き方を研究している。編集者、エッセイスト。
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