雪の日舎
今日の佐藤の、かんがえごと

年末のご挨拶 〜「つくりたい未来」に向き合い続けた1年〜

2018.12.28

いよいよ今日が年内の最終営業日となり、私たちも無事に仕事納めの日を迎えることができました。

商品を通じて、あるいは書かせていただいている新聞や各所コラムを通じて、応援してくださっているかた、声をかけてくださった方、お手紙やLINE@からメッセージをくださった方、

すべてのみなさまへ、心より御礼申し上げます。

 

2018年は、私にとっては初めてのことばかりの1年でした。
「大きくても小さくても、毎年新しいことにチャレンジする」がモットーの私ですが、それにしても今年はハードコアな1年になってしまいました…。

 

<長文です!>

 

はじめてづくしの2018年

2011年、当時「業」とは言い難い、ひとりで始めた小さな農業が、「趣味の農業」「どうせ食っていけない」「女は結婚したらどうせ農業できなくなる」と言われながらも、信じてくれた地域の方々に厚いご指導をいただき、なんとかしがみつきながら、少しずつ「業」となり、2018年9月13日、雪の日舎を「スノーデイズファーム株式会社」として、新しいスタートを切りました。

春には、大学を卒業したばかりの水沼をぴかぴかの新入社員として迎え入れました。

今まで未知の世界であった「人を雇用することで生じる様々な法律や手続き・労務管理」、指導すること・育てることの難しさを痛感し、

水沼も一年生、私も指導者として一年生、会社としてのスノデも一年生。

そんな初めてづくしの日々のなかで、試行錯誤し、たくさんの学びを得ながらも、自分自身の力不足を感じた一年でした。

 

加工所に向けてのチャレンジ

秋には、干し芋やこどもおやつの加工所を建設する予定でした。
2013年から始めた干し芋事業が、少しずつ生産者やお客様も増えてくださり、伸びてきたこと、かねてから雪国の課題である冬のしごとづくりに踏み出す時期がきたこと、委託加工のキャパがMAXとなってしまったこと、作業場を持たないなかで規模が大きくなってきた農業に限界がきたこと…いろんな要因が重なり、腹をくくり、2018年加工所建設を目指し、計画が進めていました。

農作業シーズンと同時進行で、
芋生産者さんたちとの加工所視察、何度も重ねたお金の計算、予定地の土地購入、加工所の設計、機械の手配、融資の手続き。

建設に向けて、さまざまな方からご支援いただいた一方、その過程で反対のご意見もいただき、社内で検討を重ねた結果、「建設を中止する」という判断をいたしました。

 

金額的にも大きな損害が出たこと、加工所で働いてくださる予定だったかたや生産者のみなさまの思いを叶えられなかったこと、応援してくださっていたかたや加工機械や資材、着工に向けて準備してくださっていたかた、説得に走り回ってくださったかた、私の力不足と至らなさ、そのせいで多くのみなさまにご迷惑をおかけいたしました。

本当に申し訳ありませんでした。

 

作付けしてくださった生産者のみなさまの芋を無駄にせぬよう、待ってくださっているお客様のためにも、なんとか今年の分は干し芋としてお届けできるよう模索し、「茨城への出稼ぎ加工」という形でなんとか加工をすることができました。

急な計画中止により、水沼や、加工所でともに働く予定だった川延さんとともに、長期の茨城滞在、加工をすることとなり、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。一緒についてきてくれたこと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

一方で、実際に干し芋加工の現場で、現地の多様なひとたち(出稼ぎ加工を受け入れてくださった農業学園の先生、学生さん、地域のパートの方々)とともに働き、多くの気づきや発見を得ることができ、実り多き日々となりました。

「私たちは、単なるおいしい干し芋屋になりたいのか?」という問いに向き合うこともでき、本当に私たちが干し芋づくりを通して、どんな場所をつくりたいのか、なにを実現したいのかに気づくことができました。

 

また、来年はお芋の生産者が新たに四軒増え、全生産者のみなさまの土壌調査もさせていただき、地域で支え合いながら農業生産をする生産チームづくりに向けて、少しずつ前進しています。

数名から新しい建設候補地のご提案もいただいており、諦めず、私たちらしい新しい一歩に向けて、力を溜めているところです。

たくさんの方々に支えていただいていることを痛感した一年だったからこそ、私たちは、この場所で、だれのために、なんのために、なぜものづくりを続けるのか、ちゃんと向き合うことができました。

 

なんども最初の場所へ立ち返って、いまの場所を確認する。
そして、土台をしっかり固めていく。

基本を再確認できた出来事でした。

 

 

 

最後に、ネットショップで商品をご購入くださったみなさまへ同封している「ゆきのひノート」のvol.3に法人化にあたってのお話、これまでの心の動きや、考えてきたことを書かせていただきましたが、一部こちらにも掲載させていただきます。

 

だれのため、なんのため、なぜ。
まだまだ発展途上の私たちではありますが、この3つの問いに向き合うことを恐れず、なまけず、これからも農業を通じてみなさまに里山じかんをお届けできますと幸いです。

 


新しい航海へ

この度、2018年9月13日、大安、一粒万倍日、天赦日と、1年に1回その3つが重なる、ことはじめに最適なこの日に、雪の日舎を法人化しました。

 

名前は、雪の日舎の英訳として以前から使っていた「snow days farm」を使い
「スノーデイズファーム株式会社」としました。

雪は、農家にとって作物の命の源です。一見疎ましく思われますが、
春には山の湧き水となり、田畑を潤し祈りをはぐくむ、
その価値は目に見えません。
しかし、雪の日が与えてくれる価値のように、目に見えないものこそ、ちゃんと感じ、捉え、届けたいと思い、この名前になりました。

しあわせの形を探す旅

法人化を考えていたのと同じころ「雪国こどもおやつ」の商品開発に伴って
今後農園として、事業の軸をどうしていくのか、私たちは何者なのか、誰に一番価値を届けたいのか、それはもう頭がおかしくなるくらい自分と向き合い、何度も何度も議論してきました。

 

「私って一体なにがしたいの?誰を一番しあわせにしたいの?私たちの役割って?」
こんなにも自分自身に向き合ったことがないくらい、心の芯に向き合いました。

 

その対話のなかで

 

私たちは「農村のくらし・しごと・こそだてが地続きな場を通じて、しあわせの形を探す旅をしている農園」なのだ、
ということに、気付きました。

 

そんななか、「SNOW」には「雪」という意味以外に「2つのマストをもつ帆船」という意味を持つことを発見しました。
農村のくらし・しごと・こそだてが地続きな場を通じて、しあわせの形を探す旅(ジャーニー)の途中。その旅を、たくさんの仲間たち(もちろんお客様もジャーニャー!)とご一緒したい。

そのような経緯もあり、「スノーデイズファーム」として、法人名が定まりました。

さて、今日はすこしだけ、「くらし・しごと・こそだてが地続きな場を通じて、しあわせの形を探す旅をしている農園」ってなあに?法人化の前後とこれまで、考えてきたことを書きながら、皆さまのコーヒーのお供ができればと思っています。

ぜひ、ゆるりと聞いてくださいね。

長い旅をしている師匠

橋場さん

私たちは、旅をしている。

そんな言葉が頭をめぐるころ、

「毎年違うから、毎年一年生、毎年実験」と言いながら
小さな農村の、大きな宇宙のなかで、農業を通じて長い旅をしている師匠たちの背中が思い浮かびました。

ゴールテープを切るよりも、歩き続ける今も楽しい。
それは、私が憧れて、追いかけ続けてきた背中でした。

 

振り返ると、私はいつも悩んでいました。
移住・就農についてはさほど悩まず、決断は早かったのですが、憧れる暮らし、なりたい背中、それを追いかけるなかで訪れる人生の変化。結婚、出産、子育て、移住した池谷集落から夫の家族の住む小泉集落への住まいの移動と、一方で農業を通して、自然環境の変化、政治の変化、世の中の変化を感じるなかで、常に「私はどうありたいのか」「どう生きたいのか」に向き合い続けていました。

 

そんなとき、今年入社したばかりの水沼が、誕生日にひまわりの花を贈ってくれました。

そこには、ひまわりの花言葉である

「あなたは、すばらしい」

という言葉が添えられていました。

 

いまのあなたも、すばらしい

私は基本的に、昔から自分が嫌いでした。
勉強も見た目も比べ続け、ものさしが自分自身にはありませんでした。

過激なダイエットを繰り返しボロボロになり
「痩せたらかわいいのに」「痩せたら付き合う」なんてよく言われて、
いまここにいる私は、どこにいるのか、わからなくなりました。
県内トップの進学校になんとか入れた喜びもつかの間、勉強が追いつかず「がんばっても、なんとかならない」現実があることにもぶち当たりました。急にがんばれなくなって学校に行けなくなった時期もありました。

だからこそ、誰かの役に立ちたいという思いが強く
大学ではアフリカで紛争や難民支援を学ぶようになりました。

「途中」でいい

大学3年生のとき、世界を舞台に難民支援をしている「国際NGO JEN」を通じて出会った
当時6軒13人の限界集落だった新潟県十日町市池谷集落との出会いは、人生の大きな転機でした。

 

限界を希望に変える農業者たち。
農業を通じて、教えてくださる生き方。

 

語らぬ作物たちが、ありかたを教えてくれること、
失敗は次への階段であること、
太っていても痩せていても
立ち止まっていても、完璧でなくても、
豪雪の日が続いても、雪はいつかはやみ、また春が来ること・・・。

ふきのとうと春

ときには畔の上で、ときには雨打つ田んぼのなかで、
農業を通じて生き方や哲学を示してくれた農業の先生たちと
同じ時代を生きられることは、なによりのしあわせでした。

たくさんの情報や「こうあるべき」に埋もれ、変化しつづける時代の中で、
どこにもフィットしない生きづらさを感じていた私は
本質の塊である農業と、農業がつくる地域の中で「ありかた」を学びました。
そして初めて、少しずつ自分を好きになってきました。

天日干し

いのちをはぐくむ現場・農業がうむ価値観が、ひとを救うことがある。
変化の時代に、大事なものを見失わない「ありかた」を示してくれることもある。
これは失くしたくない、と直感しました。
なにより、私が必要としていました。

 

集落の人たちが元気なうちに、もっと吸収したい!
農業を通じて繋げたい!
と、内定先を断り、大学卒業後すぐ移住し就農したときの熱い思いを思い出しました。

 

今も、作物を育てながら、学び続け、しあわせの形を探す旅をしています。
その「途中」であっても、いいのだと思えるようになりました。

 

繋げたいものが漠然

けれど、繋げたいと思った「農業がうむ、目に目に見えない大切なもの」とはなんなのか、と聞かれると

「生き方」「文化」「哲学」「価値観」という言葉に集約され、私自身が体感したエピソードはたくさんあるものの、たくさんの要素がありすぎて、「すばりコレ!」とは表現できませんでした。

そんななか、7年目にして、初めて気がついた出来事があったのです。

チャレンジしてみれ

2017年のお盆前のこと。

師匠からの電話は、農業に関する指摘の電話が多いのですが、
その日は違っていました。

 

語り口はいつもと違い「お盆は香川に帰るのか」からはじまり、まろやかな口調でした。
そして「あの件は、結局どうすることにしたんだ」と聞かれました。

実は当時、加工所含めた農業の拠点づくりに関して、チャレンジしようとしていたことを、諦めようと思っていました。
私の不手際もあり、うまくいかず、心は折れていました。
その電話口でも、やっぱり私はもごもご。

 

すると
「大丈夫だよ」「やろうと思ったときにすぐやらなければ、ずっとやれないんだから」
「自分の気持ちが大事なんだ。頑張ってチャレンジしてみれ、大丈夫だから」

と、強く、優しい言葉をかけられ、胸がいっぱいになりました。

手放しで信じてくれた

思えば、なにもできない私を信じて、いつも励ましてくれていました。

移住を悩んだときも「大丈夫、女でも気持ちがあれば農業できる」と背中を押してくれました。

ナスを全滅させたときも、さつまいもを腐らせてしまったときも

「また次がんばろう。次乗り越えれば失敗なんてないんだから。
今いっぱい失敗すべきなんだ」と一緒に片付けをしてくれました。

 

そして7年経ってもまだ、「失敗してよかったじゃないか。いっぱいするから本物になるんだ。大丈夫だ」と励まされ続けていました。

7年を通して学んだ生き方

私がこの7年間で学んだ生き方は、限界集落から脱した集落の人たちがそうであったように

「変化に対してしなやかでありながら」

「いくつになっても夢を語り続け、失敗を恐れずチャレンジし続けることで、新しい未来をつくる」生き方だと気付きました。

自然のなかでは、自分の力ではどうにもならないことがあることを、農家さんたちはよく知っているため、変化を受け止め、しなやかです。
農業こそ、変化の中で毎回違うチャレンジをし続ける、答えもない、終わりもない業種です。

 

ひとを、前に歩ませる、この力。
農業がうむものの本質は「ひとをはぐくむ力」だと感じました。
そして、そんな農村や農業の価値は、くらし・しごと・こそだてが地続きになるところから生まれているとも感じました。

 

大きなものの中に内包され
多様が共存する自然がそうであるように、「どんな姿もよし」と受け止められ
土の中で待つときも
太陽に向かって伸びるときも、
その姿はたくさんのことを教えてくれ、そして私たちを明日へ歩ませてくれます。

 

ものを生産するだけではない、ひとを育てる農村や農業の可能性に出逢いました。

 

 

豪雪農業がうむ生き方を、目に見える形にし、届けることで未来に繋げるために

教えてくれた、大切なものたち。

では、大切なものをつなぐには、どうしたらいいだろう?

3つ、やることを決めました。

 

1、実践者として農業をする

移住当初から決めていたことがあります。それは、

私たち自身が、問題を誰かまかせにせず、「こうすべき」とのたまう評論家にもならず、実践者になること、
つまりプレーヤーとして農業を続けること。
みずから産み、学び続け、心を動かし続けること、でした。

 

農業問題が語られるとき、よく流通や発信を担いたい人は本当にたくさんいます。
もちろんそれは、農業分野では足りていない部分でもあります。
実際に私自身も、移住女子の活動でもいままででも、言葉を届けることを大事にしてきました。

 

 

でも私たちは、価値が生まれる、一番近い現場に身を置き、
変化に敏感に、
ほかの農家さんたちとともに、当事者として携わり続けるからこそ生まれる可能性を一番大事にしたいと思いました。
それはまるで哲学者のようでありながら、0を1にし、限界を希望に変える、まぶしい農業の師匠たちに出会ってきたからかもしれません。

 

2、豪雪農業が生む「ひとをはぐくむ力」を形にする商品づくり

豪雪農業がうむ、生き方や哲学を繋げるために、それらを商品やサービスという形で目に見える形にすること。

つまり、商品開発です。

 


そして、生まれる商品に、3つの決まりごとをつくりました。

 

(1)農村のくらし・しごと・こそだてが地続きな場で、私たちが一番ほしいものであり、誰かの旅のおともとなるもの

 

(2)それが、未来の地域を生きるこどもたちを育てるものであること。

…商品やサービスを通じて、こどもたちの感性を伸ばすように

 

(3)同時に、彼らが育つ環境をつくるものであること。

…こどもたちがチャレンジしたくなる環境をつくられるように

 

 

この3つを叶えられるものに、変換していきたいと思いました。

 

(2)と(3)は農業の本質そのもの

みなさんは、「農業」という仕事は、どんなことをするお仕事だと感じていますか?

 

私は、
作物自身の育つ力を、伸ばすお手伝いをすること、
作物が育つ環境をつくること、
この2つが「農業」という仕事の本質だと、8年間の師匠の指導のなかから感じました。

 

ところが、子育てをするなかで、これらは子育てにも通ずるものだと気付きました。
また、いままで地域と向き合う活動のなかから、「ひとのありかたが、地域をつくる」を痛感してきました。

 

だからこそ、農業や商品を通じて、作物だけでなく、地域をつなぐひとを育てることも、地域らしい哲学を繋ぐこととなるのだと感じました。

そのため、商品開発のきまりごと3つのうち、2と3は農業のありかたそのものを、ひとにも活かしたいという思いがあり、
農業や農村がもつ「ひとをはぐくむ力」を引き出したいと思っています。

いまそれを体現しているのが
「お茶のみ文化」をつなぐための「ゆきのひみやげ」干し芋だったり
こどもたちの「挑戦したい」気持ちを伸ばし、こどもと大人の新しい関係をつくる「こども鍬」だったりします。

 

ちょうど「こども鍬」ができるころは、秋の加工所建設が断念となった頃でした。
私はなんのために農業をしているのか、見失いそうになったとき、
こども鍬を手にして、チャレンジしたい気持ちを叶えた娘の、とてもイキイキとした笑顔をみて、農業をはじめたばかりのころの「農業ってたのしい!面白い!」「里山はワクワクする!」という気持ち、農業の師匠が教えてくれた「失敗を恐れずチャレンジするんだ」という大きな背中にまた、出逢うことができました。

 

3、すべてのもの、ひとに居場所を与え、旅をさせる

3つのやること、最後の1つはこちらです。

 

昨年インターンで来てくれていた元・幼稚園教諭の川延誉さんの
「みんなちがって、みんないい。これ、私が大好きな言葉なんです」と言いながら、芋の選別をしてくれていたときに、舞い降りた気づきでした。

 

「居場所を与えて旅をさせる」とは、
一緒に農業に携わる地域の方々、多様なひとたちが、ともにものづくりができる役割と輝く場所を見つけること、
いろんな形の芋、それぞれに合った販売先や加工方法を見つけてあげること。
そうした上で、ネットショップでちゃんと思いを届け、商品を遠い誰かに届けること。

 

私は商品を発送するとき、大きく育てた娘を見送るように
「いってらっしゃい」
という気持ちで、商品自身の旅へ送り出しています。
どんな人たちのもとへ行き、どんなふうに喜ばれているだろう…と思いを馳せています。
なので、お客様から、ご感想が届いたときは、それはそれは飛び上がるほど嬉しいです!!

50年後、見たい風景

ふと、北海道の東川町の本を読んでいるとき
アウトドアブランドのモンベルさんのインタビューで「50年後、見たい風景」が綴られていました。

 

はて、私が50年後見たい風景はどんな風景だろうと、はっとさせられました。

 

私は、いまは

 

ひとや作物など、いのちのはぐくまれる場所が
その人らしい笑顔たちで輝く風景をみたい、と思いました。

 

 

それは、私自身が昔からずっと、自分の居場所を探し続けているからかもしれません。

その思いは、今回干し芋の出稼ぎ加工に行って、さらに確かなものとなりました。
加工先の先生から問われたのです。

「佐藤さんは、干し芋屋さんになりたいのですか?」

 

 

そのときとっさに「違う!」と声をあげそうになりました。

 

私たちは「単なる美味しい干し芋屋さん」になりたいのではなくて、
つくるひと(生産者や加工者)も、たべるひとも、どの場面でも、その人に合った場所で、その人らしい笑顔を生む屋さんでありたい。
農業や農村がうむ、ひとをはぐくむ力を引きだすことを通じて、ワクワクを生み、自分らしさに出逢い、キラキラする笑顔を見たい。

 

そんな、農村で自分らしく輝く背中たちを、こどもたちに見せることで
「どんな君もすばらしい」と、農村で生まれる100人100通りの未来を応援したい。
それを、農業者として、生産者として今、できることが、まずはこの小さな干し芋づくり。

 

 

もっと遠い未来は?

 

そんな地域が世界中に存在し、ともに「生きること」に向き合いたい。
さまざまな国、ちいきで、産み手として携わる人たちがつくる、多様な生きる知恵に出会いたい。
そんなふうに、人道支援を学び続けてきた私は単純に思うのです。

 

 

私たちの立ち戻る場所はいつもここ。
スノーデイズファームのロゴが示しているように、
私たちの暮らす雪国の、ほっぺを赤くした、かわいいこどもたちの笑顔。

 

ここから、私たちの航海は始まったのだと、忘れないでいたいです。

 

 

 

真面目な話が長くなりました。

まだまだ小さな農園ですが、風呂敷は大きく、一歩一歩も遅々としてるかもしれませんが

より多くのみなさまに寄り添える「船」となれるよう、チーム一同精進したいと思います。

 

 

私がいなくなった世界で、娘が娘らしくおばあちゃんになり、しあわせに自分の人生を生きているように。
その子らしい未来をつくるこどもたちが、地域にまたワクワクを生むように。
そんなあたたかい未来を目に浮かべ、今日も畑に向かっています。

 

どうぞ今後とも、スノーデイズファームをよろしくお願いいたします。

 

 

佐藤 可奈子

佐藤 可奈子

株式会社雪の日舎 代表。1987年、香川県高松市生まれ。立教大学法学部政治学科卒。大学卒業後、新潟県十日町市に移住、就農。「里山農業からこころ動く世界を」がテーマ。著書「きぼうしゅうらく〜 移住女子と里山ぐらし」