雪の日舎
今日の佐藤の、かんがえごと

SALASUSUを訪ねて、カンボジアへひとり旅【4】ー代表・青木健太さんに聞く。「僕自身のライフジャーニー」ー

2019.07.25

問題意識を持っている本気の人がいた

佐藤 次は、青木さん自身の人生のジャーニーについてお伺いします。

 

SALASUSUのプロジェクトは、認定NPO法人かものはしプロジェクト(以下、かものはしプロジェクト)からスタートしました。青木さん自身、かものはしプロジェクトが取り組んでいる人身売買問題にもともと関心があったのでしょうか。それとも、代表の村田早耶香さんの思いに共感からですか?

 

青木 語弊はあるのですが、多分なんでもよかったんです。自分にとって社会問題って身近じゃなかったから。社会起業っていう話のなかで、そういう問題を解決しながら事業している人がいると聞いて「かっこいい」と思って。そんなときに村田がなにかへんなこと言ってたなぁと。

 

話を聞いてみたら、「私が子どもが売られる問題を解決しなきゃいけないんです」っていう思い込み、(あえて言えば)勘違いを抱いていて、そう考えられるのがすごいなって思って。村田とお互いそそのかしあって、サークルの中で始めたのが、かものはしプロジェクトでした。

 

それがまさかこんなに長く続くとは思ってなかったです。だからきっかけは「サークルとしてどんな活動する?」っていう話だったのに、そこに問題意識を持ってる本気の人と、それを本気で支えてくれる大人がいてくれたので、活動すること自体に面白みもありましたね。

 

佐藤 青木さんが所属していたサークルに村田さんが入ってきたってことですか?

青木 そうだね。インカレでたまたま。それから新団体になりNPOになりました。

 

佐藤 青木さんのはどのように熱量を維持しましたか?

 

青木 僕は新しいこと、面白いこと、大きいことが好きで、16年かものはしプロジェクトでやってきましたが、自分のなかではちょっとずつやってることは変わってきていて。

 

最初のかものはしプロジェクトは、ITで金稼ぎをしてたんです。ITは日本で受注して。当時、私がIT担当になって、自分でプログラミングも覚えて、新しいことを覚え、お金を稼げるようになって。一区切りついたと思ったらカンボジアに行ったり。今でこそ違うけど、最初はずっとそんな感じでした。

 

「なぜこれを、自分の人生でやる意味があるのか」に向き合い続けた

青木 実は今回、かものはしプロジェクトから独立するってなったときに、結構「ジャーニー?なんで?本気?」と仲間が問うてくれました。「なにがやりたいの?」っていう。

 

例えば当時はカンボジアでプロジェクトをやっていて、「まだまだ自分が思ってるほどうまくいってなくて、悔しくて責任感じてやりたいのか」とか、「それだと絶対続かないからやめろ」って止めてくれたり。

 

自分の心のなかに、「自分の人生でやる意味がある」というのがないと、エネルギーがなくなるという話をしてくれて、今考えるとそれは、自分にとってよいジャーニーで、1年かけてなぜやりたいかと繰り返し問い続けました。

その旅で気づいたことは、環境に振り回されて、やりたいことをやれない、わくわくできてないという人を見たときに、もったいなさとか悲しみ、怒りを覚えることがあるんだな、ということです。

 

僕は、自分でわくわくできるようになってくる事業、世界をつくっていくことに興味がある。だから独立する理由は「やりたいから」という感じに腹が決まり、今もなんとか続けられています。

 

佐藤 ジャーニーには問いが必要。

 

青木 これまで15年くらいは「次にやることが、自分にとって楽しくて役に立って、成長できるならやろう」ってことでバンバン決めてきたけれど、もう一度起業するにあたって、ゆっくり決めるとか、立ち止まって決めるとか、そこのなかに答えがあったりするなって感じました。自分を振り返るって勇気いるじゃないですか。そんなプロセスがあったのはよかったです。

 

わくわくを作れたか、自分らしくあれたかを、常に問う

佐藤 青木さん自身が一人の父親として、代表としてこれからどういうジャーニーがしたいですか?

 

青木 そうですね、改めてまた起業したし、家族にも迷惑かけて、いろいろ責任とかやらなきゃいけないこともいっぱいあるけれど、そんな不安とか、商品が売れるかなとか、またそれ以上にシビアな問題もあって。お金借りたりもしてるし。

 

だから、こういうなかでも自分が本当にわくわくする方法とか、いいねって思えることに向かえるよう整えたいです。

 

また後で振り返ったときに「15年経って、これしかできなかったけど」じゃなくて、よい旅だったと感じられるように。お金があるないとかそういう面よりも、わくわくできる環境を作ることができたか、自分らしくいられたか、を常に問い続けたいです。

 

佐藤 青木さんのなかでは日本に対するブリッジはあるんですか?地域ごとの問題は違うけど、日本の農村につながるものなど。

青木 多分次の10年くらいには大きな問いのひとつになると思っています。もともと僕は、個人の「ひと」に着目するくせがあるので、場所や属性を問わず、日本人でもカンボジア人でもよくて、エンパワーメントが必要な人が目の前にいたら、その人に注力する。

 

いま自分が工場に来るのは月に1回くらいで、菜々子さん(写真左)のほうが現場で働いている。だから僕にとっての第一の顧客は菜々子さんとか、スタッフの子たちなので、僕にとってはその子たちのエンパワーメントがまず最初でした。

 

目の前の人が生き生きしているかどうかしか見えていなくて、どんな社会をつくりたいか、どことどこを、どう繋げると面白いか、という部分をいままで置いてきたなぁと思っています。カンボジア全土に広げたいとか、日本でもやっていきたいと思ってますが、どれくらいの、どういう人と一緒に、どのスピードでというのはまだわかりませんが、いずれはと。

 

「社会性とビジネス性って矛盾しないですか」って以前スイス人のソーシャルアントレプレナーに聞いたことがありました。

 

彼は、「いやそれは矛盾じゃなくてつなひき。マネージ可能なもので、そのためにマーケティングやコントロールができるから、矛盾と言っちゃだめだ」と言ってくれて。

 

はっとしました。ビジネス的に勝っていかなきゃだけど、ここで起きている現実に、割り切ったほうがいいのかという思いの一方、でもそうやってみんな割り切ってきたから社会は変わってなくて、うちが諦めたらいけないのかなって思うこともあるし、勝手に使命感です(笑)

 

 

佐藤 お忙しいなか、素敵なお話をありがとうございました!

 

工房訪問の1日を通じて、SALASUSUが歩んできたジャーニーと、青木さん自身のジャーニーのお話を伺って、私たち自身も農業者として、農村から生まれるものを多くの方々へ届けるにあたり、自分自身への問い、チームへの問いとして受け取ることができました。

 

次回、最終話では旅のまとめをお届けします。

 

 

 

SALASUSU

カンボジア発のライフスタイルブランド
SALASUSU(サラスースー)。
日々の暮らしも、特別な旅路にもよりそう、シンプル&クリーンなラインナップ。
農村にある小さな工房で、近隣の女性たちによって、丁寧に仕立てられています。

佐藤 可奈子

佐藤 可奈子

株式会社雪の日舎 代表。1987年、香川県高松市生まれ。立教大学法学部政治学科卒。大学卒業後、新潟県十日町市に移住、就農。「里山農業からこころ動く世界を」がテーマ。著書「きぼうしゅうらく〜 移住女子と里山ぐらし」