雪の日舎
くらす、働く、子育てする、里山の女性たち

第4話 働きたい思いを叶えてくれた地域。だからママ農家の「ほしい」ものを代弁してゆく〜笠原尚美さん/新潟県阿賀野市

2019.06.21

世代を超えて見えてきた、視点

「どうしたら、子育てしながら自分らしく働き続けることができるのだろうか」

そんな私たちの悩みからスタートしたこの特集。

 

第1話では雪の日舎の女性メンバーの座談会をお届けしました。その中でも、佐藤が小さな子どもを育てながら農業を続けていくにあたり、さまざまな壁や悩みにぶち当たったこと、いまもあり方を模索しながら働いていることをお話しました。

第2話以降は、農業に携わる女性たちがどんな思いで、どんな工夫を凝らしながら、この雪国で農と子育てを両立してきたのか。

それぞれの年代別に聞いてみました。

 

第2話 「季節保育園ってなに?」農家の暮らしに合わせたサポート〜水落静子さん/新潟県十日町市

第3話 母のあり方に人が集まる「農業も子育ても、おおらかに」福嶋恭子さん/新潟県十日町市

今回お話を聞いたのは、「農業」に携わる女性でしたが、皆さんが共通してお話してくださったことからは、直接「農業」に関わっていなくても、どんなお母さんの心にも響く大事な視点だったなと感じています。

 

今日は、阿賀野市で専業農家をつとめる笠原尚美さん(52歳)にお話を伺いました。

 

男性社会の農業。バリバリの専業農家であり農業委員会会長の子育ては?

私(佐藤)が、初めて笠原さんとお会いしたのは、十日町市の農業委員に就任した2014年。農業委員とは、農地の売買や貸し借りの際に、両者の間に入ってサポートしたり、耕作放棄地の調査や担い手育成などを行ったりする行政委員会です。


各市町村に設置されていて、十日町市は委員が当時40名、女性は私1人でした。

覚えることがたくさんな上に、どう役に立てればいいだろう…と1年目は悩むことも多かったのですが、そんな中「新潟県女性農業委員研修会」の案内をいただきました。

 

横のつながりが欲しかった私は、迷わず参加。
そこで出会ったのが、「女性農業委員の会」会長の笠原さん(写真左)でした。

比較的小柄で、やわらかな語り口。
そんな笠原さんは、私が産後「こどもがいるので会議に出れない」と断ったとき、「バウンサー用意するから、連れておいで」「託児ルームを用意したよ」「みんな母ちゃんだった人たちだから、大丈夫だよ」と、次々と「初の試みよ」と言いながら、寄り添い続けてくださいました。

 

まだまだ男性社会の農業。
その心遣いが、ほんとうに嬉しかったです。

そんな笠原さんは、どんな農業と子育てをしてきたのだろう。
専業農家の経営者としてバリバリ働く様子だけでなく、「女性農業委員の会」会長としても日々地域の中で奔走する姿を聞いたり、見たりしてきたからこそ、そんな疑問が浮かびました。

 

「お前が男だったらよかったのに」と言われながら

「実家は水稲の兼業農家でした。でも両親たちが兼業でばたばたしているのを見てて、私は跡継ぎとして、専業で農業がしたいと思っていました。農業大学校を卒業後、切り花栽培の研修に行き、21歳で切り花分野で就農しました。いまはチューリップ10万本、ひまわり3万本を出荷しています。

当時、専業農家をやりたい女性は少なかったので、大学校の先生に『お前が男だったらよかったのに』って言われたこともあります。

 

「働かざるをえない」、そして「働きたい!」

笠原さんは21歳で就農後、24歳で結婚、25歳で第一子を出産します。産前産後は、どのような働き方だったのでしょうか。

 

「出産の前日まで仕事をしていました。
冬も立ち仕事で辛いけど、しなきゃいけない。ひたすら我慢でした。予定日過ぎても30kgの米袋は持っていたし。だって、割烹着着てたから、みんな気づかないんです。気づかないから、手伝わなきゃかなってなっちゃう。

 

そして出産日の2日前からゆりの出荷がスタート。
夫は当時、まだどの色になったら収穫するというのが分からなくて、私は退院してすぐハウスへ行きました。

 

仕事をしたかったし、せざるをえない状況で。でも、もともといつも動いていたので、逆に動かないのが辛かったですね。」

 

なんと体育会系な…!!壮絶な産前産後に、驚くばかりでした。
しかし、働かざるを得ない状況や、季節が待ってくれない農業の特殊性はあるものの、素直に「働きたい」意欲の強かった笠原さんは、子育て農業期間を楽しんでいたようにも感じました。

 

それはなぜなのでしょう?

 

話の中で、「内と外」、つまり「内」としての自分自身の工夫と、「外」としてのまわりのサポート環境の合致が出ました。

 

では具体的にどういったものでしょう。

 

働きたい気持ちを支えた5つの環境。

地域に専門家がいた。

「ご近所さんに、引退した小児科の先生がいたんです。幼稚園に入れる年齢までは、こども3人とも農業しながら家でみていたのですが、ちょっと熱が出たときも、サポートしてくれて。

看護師だった方もご近所にいて、病児保育的役割をしてくれたり、『もしかしてこどもへの愛情が足りないんじゃないか』と当時悩んでいた私の精神的サポートもしてくれました。」

 

労働環境と子育て環境の一致。ご近所さんサポートの厚さは、お嫁さんじゃなかったから?

「私、すっごい恵まれた人間なんです。お嫁さんとしてここに来たとしたら、そこまでのサポートしてもらえたかなって。

 

多くの方は、お嫁に来て、ご近所さんの顔と名前も一致しない状態で出産して、仕事をして。私は小さい頃からここに住んで、夫が婿に来たから、きっとご近所さんもサポートしやすいんです。

 

だから農業をしている間は、よくご近所さんやパートさんが子守をしてくれました。そばの畑で遊んでいたり、気づいたら隣んちの布団で寝てたり。こどもが身近にいるのは安心でした。もう30分仕事したい!っていう融通もきくし。

 

だからか、育児ノイローゼとは無縁で、仕事をしている間はどこかで誰かがきちんとみてくれて仕事にも集中できて、なにかあれば連れてきてくれる。まわりが上手にサポートしてくださり、労働環境と子育て環境が一体に近いところだったので、よかったです。」

大人の働く場所は、こどもにとっての遊び場

「こどもたちにしたら、どろんこ遊びも農作業も変わらないんでしょうね。
その農業環境を、危ないところは落ちないようにとか、熱中症ならないようにって親が整えてあげると、遊び場になる。汚れたら洗えばいい、というかんじで日常的に過ごしてたから、今も娘は農業嫌いじゃないし、農家の嫁でもいい、っていうかんじ。ご近所さんも『危ない危ないしなくても、怪我したらわかるさ〜』『ちょっと怪我したんだけど、絆創膏貼っといたよ〜』っておおらかで。」

 

首長の子育て観が、地域をダイレクトに変え、個人を支える

「農業委員を33歳で務めるようになり、農作業や子育てと、農業委員の仕事の両立が始まって。ご近所さんや母親に会議のときは預けながら、なんとかやりくりしてたけど、1回どうにもだめで休もうと、事務局に電話したことがあったんです。

 

そのとき村長さんから電話がかかってきて。

『どこそこの保育園で、預かり保育ができるから、出て来なさい。これからそういうのは大事になってくるんだから』と。

実は、保育サポーターも県内で一番最初にできた地域。『福祉に手厚い』と言いながら老人福祉ばかりしてたら、若い人から意見が出て、『遅ればせながら』とやったとき、県内では全然遅ればせながらではなかったんです。」

 

「こどもがいて、会議に出れないなら、仕方ないね」で済まさない、村長さんの理解の深さに小さな感動を覚えました。なんと素敵な地域…首長さんの子育て観が地域をつくり、個人を支えるのだと感じました。

夫の理解

後継者として、専業農家として、農業への意欲が高い笠原さん。
旦那さんの理解やサポートはどうだったのでしょうか。

 

 

「実は夫は、京都の兼業の長男でした。
結婚前は酪農ヘルパーをしながら、農業をしてて。でもうちに婿に来てくれたんです。」

 

え〜〜〜〜!!!なんとびっくり。

 

「夫は、本当は酪農をしたかったようなのですが、時代として酪農は新規に始めるには厳しい時代だったので。

 

そんななか、夫の子育て観には助けられて。
うちの夫は、ヨーロッパで1年酪農研修で住み込みをしたことがあって。そこで、仕事の環境に当たり前にこどもたちがいたっていうのを経験したらしいです。

 

だから今も、私と似た様な年代のかたが子連れで仕事に来たとき、タープを買ってきて、田んぼの真ん中でも日陰を作って、用水路だけは気をつけさせて、畑のすみっこでどろんこになってもいい場所を作ってくれるんです。」

 

こうあるべき、ではなく、いろんなあり方を見てきたからこそ、自分たちにフィットする形をフラットな視点で作ることができるのですね。

 

支えられる中で、どうあるか?「よりがんばることじゃなく、自分を大切にすること」

働きたい気持ち、働かざるをえない農業、それを支えてくれた「外」のサポート環境。私だったら、「支えてくれているからこそ、もっと頑張らなきゃ!」と頑張り過ぎてしまいそうです。

 

笠原さん自身はどうだったのでしょうか。

 

外からのサポートの一方で、笠原さん自身がした工夫についてお聞きしてみました。

 

余計な仕事はしない、と決めました。
今日の仕事はここまで。それが終われば、あとは持ち越さないし、時間があるからってそれ以上のことはしない。じゃないと体が参っちゃうので…。
疲れたら休む、というのもよくしてました。15分トラックの中で寝たり、荷台に寝転がったり、横になると楽になるので、その程度でいいんです。

 

家事は、私の母がまだ若かったので、ほぼ全部してくれたのも助かりました。

 

あとは、産前産後で自分の仕事の役割も変化しました。
実際に現場で体を動かす直接労働より、市場や農協さんとのやりとり処理など、間接労働が多くなりました。こどもが2人目までは両方こなしていたんですが、3人目で体がもたなくなってきたんです。

 

産後2ヶ月くらいはそんな働き方に変え、それ以降はまた通常運転に戻りました。」

 

 

 

内と外の一致。それが、いつのまにか多様な人たちの受け皿となっていった

そうやって、外からのサポート環境のなかで、笠原さんらしく、子育てしながら農業を続けていった場は、いつしか同じような人たちの受け皿となってゆきました。

 

「当時、パートに来てくれていた人たちは、例えばご主人が長距離トラックの運転手で、外の仕事に行けなくて専業主婦していた方だったり、同じような子持ちの母親や、バリバリのキャリアウーマンだった方だったり。いろんな事情でフルタイムで働いていなかった方々が、お仕事に来てくれるようになりましたし、こども連れも歓迎しました。

 

幼稚園バスをうちのハウス近くでみんな乗り降りさせて、一緒に働いて、こどもが帰ってきたらお仕事おわり、みたいな形をとったり、すみっこでこどもたちだけで遊んでいたり。」

農業は暮らしの中に仕事がある、だから融通が効くこともあり、いろんな事情でフルタイムで働くことを選択しなかった地域の多様な女性たちの、受け皿となっていったのだなと感じました。それは子育て世代だとなおさら求められます。

 

「私は恵まれてきました。だからこそ次は私が、自分から『ほしい』ものを言えないお嫁さんたちの代弁をしていきたいです。少しでもいい環境に近づける手助けはしていきたいです。」

 

ともに暮らしをつくってゆくプラットフォーム

子育ては一人ではできません。
もちろん子育てをしながら働くことも容易ではありません。
でも、自分自身の思いと、外のサポート環境が合致したとき、そこから生まれる場は、「多様な人たちが、ともに暮らしをつくってゆくプラットフォーム」になってゆくのだと気づかされました。

 

女性たちの理想の働き方、子育て含めた暮らし方も多様となるなか、なかなか外のサポートと合致することは難しいかもしれません。けれど、きっと笠原さんのように「次の世代は、なにを必要としているだろう?」と、次世代を支えたい思いを持った先輩お母さんはもっといるはず。

そんな先輩お母さんたちとの出会いと持つこと、そのためには思いを言葉にしてゆくことの大切さを感じました。

 

私たちは、くらし・しごと・こそだての分断をなくすことが、生きやすさに繋がると考えてきましたが、そのためには単世代だけで考え、解決を模索するのではなく、世代間を繋げることで開けるものがあるのだと気付かされた取材でした。

 

 

お話を聞いた人

笠原尚美さん

新潟県阿賀野市出身。専業農家として水稲、野菜、切り花(チューリップ、ひまわり)の出荷を行う。新潟県女性農業委員の会会長も務める敏腕農家。現在は、尚美さんのご両親、夫、2人のこどもと同居中。3児の母。

 

 

■笠原さんをはじめ、県内のママ農家20~80代のみなさまにどんな子育て農業をしてきたか、どんな「くらし・しごと・こそだて」のブレンドをしてきたか、聞き取りやアンケート調査を実施し、白書にまとめました!

農あるくらしと、こそだて白書(ゆきのひノート特別編)「くらし・しごと・こそだてをどうブレンドして、私らしいしあわせ作れる?」

佐藤 可奈子

佐藤 可奈子

株式会社雪の日舎 代表。1987年、香川県高松市生まれ。立教大学法学部政治学科卒。大学卒業後、新潟県十日町市に移住、就農。「里山農業からこころ動く世界を」がテーマ。著書「きぼうしゅうらく〜 移住女子と里山ぐらし」

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